外資系で働いて知ったこと:自分と他人
人生は何が起こるかわからない。ある時、外資系に転職することになった。日本の組織から初めての外資系、しかも本業を休んで副業で転職したことは容易ではなかった。その時、雷に打たれたような経験がいくつかあったので、その一つの紹介。そこは既に退職したが、とてもいい職場だった。
職場はアメリカ社会だった
筆者の部署にはアジア出身のアジア人はほぼおらず、上司と同僚のほとんどがアメリカ人だった。当然、思考回路・話し合い・決断もアメリカ式でアメリカ社会そのものだった。
関わる人はハーバード、スタンフォード、オックスフォード、バークリーといった超一流大学を出ている人ばかりだった。しかもその組織は非常に有名でブランド力があるため、アメリカの競争社会で勝ってきた、上昇志向が強く非常に優秀な努力家しかいなかった。
そのため、筆者が属していた"アメリカ文化"はアメリカの一部であるだろう。しかし日本の組織とは全く異なる点があったのは確かだ。
それは誰のプロジェクト?
あなた自身のプロジェクトはどうなってる?
入職して間もない時に最初のメンター(助言者・相談者)に言われて、雷に打たれた。
筆者はついつい、人に頼まれた仕事を優先してしまい、自分主体のプロジェクトをおざなりにしていた。日本の組織の感覚だと、人のプロジェクトも自分のプロジェクトも同じようなウェイトでこなすことが多い。人のプロジェクトであっても、自分の時間をかなり割いたり、自分のことが犠牲になっても助けたりすることは珍しくない。
主語が自分か他人か
アメリカ以外の国のことはよく知らないので、アメリカ社会について述べる。アメリカ社会では、自分と他人を明確に分ける。「こう考えている」とだけ言っても、それは「誰が」が大事だ。日本語は主語が曖昧で、文脈で判断することも多いから、「誰」をわざわざ言及しなくてもいい。
当時筆者が関わっているプロジェクトが3-4件あった。アメリカ的な考え方だと、それらが全て他者主導のものを手伝っていた場合、自分主導のプロジェクトは何もしていないことになる。いくら人を助けていても、自分の事を何一つやっていない。これはアメリカでは全く評価されない。
ただの流されている人、自分の意志のない人、何を考えているかよくわからない人、何もしていない人、大事にするに値しない人。その結果、利用されて終わる。そしてそういう扱いをされない人と、職場での立ち位置に雲田の差があることを知らずに終わる。
もちろんアメリカでも、人のプロジェクトだからといって手伝わなすぎは問題であるし、自分にとって都合のいいとこ取りだけしようとする人も問題ではあったが。
日本の組織で働いている時
専門職に就き、一般的には結構な高収入を手にしていた。中間管理職であったり自分で決断することも多く、責任のある仕事をしていた。当時はどちらかと言うと「自分の考えがある、自立している」側だと思っていた。しかしアメリカと比較すると、全然足りなかった。
「自分のため」には「何を」やっているか
集団での平和や平等・安定を望んでいる人からすると、これは自己中心的な考え方に見えるかもしれない。和を乱す、空気を読まない、普通と違う、自己主張の強すぎる言動は日本では敬遠されがちだ。
アメリカは個人主義の塊である。「自分」のニーズに合った組織に自分に最適なタイミングで就職する。会社には労働を提供する代わりに、自分の人生の目的のために必要なものを手にする。そういうwin-winの関係、対等な関係なのだ。双方にとってwin-winでなければ契約を切ればいいし、個人にとって必要なものを手にした後は、次に必要なものを手に入れるために転職したり起業したりする。しかしアメリカ式に「自分のため」に生きるのはある意味自由だが、常に自分の人生の全てを自分で決断し続ける辛さがある。そして常に戦い続ける生活だ。
日本の組織が良い悪い、外資系が良い悪いということではない。ただ「自分のため」には何をやっているかということを常に考えて生活し、仕事することは非常に大事だと思う。日本の組織で働いている時は、忙しさに謀殺され、「自分が本心で何を望んでいるか」を考えることすら知らずに流されて激務をこなしていた。転職するまでは、色んなことを自分で決めている気がしていた。転職してから、実のところは今まで流されて生きていたのだと知った。
まとめ
「自分」と「他人」を明確に線引きするという考えに雷に打たれた。他にも働いてみてから何回か雷に打たれたことがあった。気が向いたら書こうと思う。
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