出る杭は「必ず」打たれる
ある時知り合いに言われて、非常に納得した言葉だった。「必ず」なのだ。知り合いは若い時から同世代より飛び抜けて優秀だった。現在は本業と副業で全く違う種類の会社を2つ起業・経営し、大企業や学閥のTopら、著名人らに寵愛され、いい事も悪い事も人の数倍量・数倍速で人生を爆進している人だった。
出る杭は打たれる
有名な諺である。本当にそうなのである。人と違うこと、目立つ結果、珍しいことをしていると目立つ。そして叩かれる。「必ず」叩かれるのだ。
知り合いから「必ず」と言われるまでは、漠然と「目立つと何か言われるな」くらいに思っていた。しかし思い返してみると、確かに人より頭一つ抜けかけると叩かれ始める。
日本の組織で働いていた時、筆者は常に鳴りを潜めて淡々と自分の仕事をして準備していた。「こんな夢がある、あんな夢がある」と口に出して言ったら、応援してくれた人はいたと思う。一方で、確実に邪魔をしてくるであろうと思われる人はいたし、筆者がピンチの時にそれに乗じて潰そうとしてきた上司もいた。
筆者は「打たれる」事を全く気にしない性格ではなかったし、そういうのと対立することを好まないので、静かに目立たないように仕事をしてきた。
半馬身先だから叩かれるんだ。
1.5馬身先まで出てしまえば、叩かれない。手の届く範囲だから叩かれる。さっさと1.5馬身出てしまえばいい。」
ある大学教授に言われた言葉だ。「出過ぎた杭は打たれない」ということだろう。確かに、1.5馬身先とまではいかないが、叩いてくる人らの視界に入らない世界に入ったら、こちらへの興味を失ってくれた。
外資系に転職したら
「出る杭は打たれる」という概念がないのか、そういう点で自由になった。自分のやりたいこと、目指すことを口に出したら、「いいじゃん!!!」と言われ、非常にいい事だと捉えられた。逆に、やりたいことがない人にとってこういう世界は地獄かもしれない。そして競争社会なので、そういう点も地獄かもしれないが。
まとめ
必ず打たれると思っていると、叩かれることに過敏にならなくなった。当たり前になると何てこともない。実際に今もリアルの世界で誰から何を言われているか知らないが、自分のやりたいことに関係なければ、もはやどうでもいいのだ。