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ことばのちから
言葉
ネットで「言葉」と検索すると、パッとこんなに出てきます。
合い言葉、東(あずま)言葉、遊び言葉、忌み詞、入間詞(いるまことば)、売り言葉、江戸言葉、沖言葉、隠し言葉、翳(かざ)し詞、重ね言葉、京言葉、国言葉ざあます言葉、逆さ言葉、捨て言葉、添え言葉、逃げ言葉、挟み詞、花言葉、話し言葉、流行(はやり)言葉、褒め言葉、枕詞(まくらことば)、御国詞(みくにことば)、奴詞(やっこことば)、山言葉、大和言葉、廓(吉原)言葉 (Weblio参照)
同じ日本語なんですが、いくつ知ってます?
廓(吉原)言葉
廓(くるわ)言葉とは、花魁詞(おいらんことば)、ありんす詞(ありんすことば)などともいった。「ありんす」は「あります」の音変化で新吉原の遊女が用いた。「なんだか、ご法事にあふやうでありんす」(黄表紙『無益委記』)などと出身を分からなくするために使われ、新吉原は「ありんす国」とも呼ばれた。 (Weblio参照)
この廓言葉を深掘りすると、吉原で生きる人々が、さまざまな事情で”出身を分からなくするために”使われてきたことが察せられます。
言葉と文化
人間は知識や経験を“言葉”によって伝え世代を超えて積み重ねていく文化を築いてきた。(ミネルヴァ書房「よくわかる文化人類学」)
文化人類学では、言葉によって文化は築かれ、文化によって言葉は洗練されるという相互関係にあると言われます。
前述した吉原という文化は、言葉を洗練させ、その言葉は、廓言葉という共通言語として遊郭に生きる人々のかなしみを慰め、喜びを分かち合い、生きる力にもなってきたのです。
かなしみの共通言語と語る場所
悲痛という表現がある。悲しみは心情を表す言葉だから、本来ならば痛いと感じることはないはずなのに、そうとしか言い得ない出来事が確かにある。
(悲しみの秘儀 若松英輔)
”ことばのちから”は言葉を語ることで発揮されます。だから私たちは歴史的に家族や仲間といった小さなコミュニティを作り、共通言語(かなしみを知る人同士)で”かなしみ”を語る場所を築いてきました。
しかし現代ではコミュニティが影に潜み、多くの人が”かなしみ”を語る場所をなくし、同じく他者の”かなしみ”にも見て見ぬふりをしてしまうことがあるように感じています。それはまるで「”かなしみ”は自分で何とかするしかない」とでも言うように。
”かなしみ”を語る場所を築く(グリーフケア)
「その言葉に救われた」なんて経験が言われるように、”ことばのちから”を知る人は多いと思います。しかし例えばいくら素敵な言葉でも、本に書かれた言葉は少しすると忘れてしまうのです。繰り返しますが、”ことばのちから”は言葉を語ることで発揮されます。
だからこそ私たちはグリーフケアが社会で当たり前となるように働きかけ続け、共通言語(かなしみを知る人同士)で、”かなしみ”を語る場所を築いていきたいと思っています。