真っ直ぐ生きる。だけじゃあ不完全だった。
先週。
僕は元恋人と現同僚で一緒に働いているのだけど、最近、イラ立っている様子で、ついに不満をぶつけられた。
「なんであなたは、、、」、と同僚としていろいろな不満を言われて。
僕は返事をしたけど、正直、自分は正しくいられると思っていて、あまり本気で受け止めなかった。元々彼女は気分によって、「正義も悪だ」と言うクセがあったので今回もそれだろうと。そのとき言われたのは「片付けの掃除をどうしてやらないのか?」というのもで、ちょっと理不尽なような気がした。
そもそも管理者としての仕事が残っていて、それ以外のまわりの社員は定時に帰れている。そこでわざわざ僕が掃除・片付けをする必要はないと思っていたのだけど、「ごめん、次からは手伝うよ」と伝えて、そこから毎日片付けをしている。
まあ残業が嫌ということでもないので、いいのだが。
すると、1週間を経ったときに「無理に片付けに入らなくてもいいですよ」と言ってもらえた。
うん、難しい。
とまあそれはいいのだけど。不満をぶつけられた日、ぼくはすぐに「ごめん」と謝って話が終わったのだけど、彼女はどちらかというと、なにかの苛立ちをぶつけたかったみたいで、どこか、不満そうだった。
真っ直ぐ生きる、が僕の信条で、そういった意味で、彼女の不満を受け止めることができていなかったのは心残りだ。
夜、お風呂に浸りながら反省した。
付き合っていたから分かるのだけど、きっと彼女はまだ、苛立ったままイライラしているだろうなと。ソワソワした。
自分にできることはあったと思う。彼女の気持ちを反転させるような、なにか。
「どうしてるかなー?」と考えると、きっとムカつきながらNetflixを見ているはずだと思って、ほんとうに申し訳なくなった。
20代のころ。僕はイラっとしないように頑張っていた時期があって。
会社で疲れていると、「次お風呂一」と家族に言われただけで「うっさい!」と怒鳴ったり、誰かに悪意を向けられたりすれば、もう荒々しく「マジでムカつく」とぼやき、布団の中で眠れなくなったりした。
そんな自分が嫌いで、どうにかそれを改善して割とイラ立ちは忘れられるようになった。
だけど。
自分がイラつかなくなったってそれは自分の為で。誰のためにもならないよなと思った。
なんだか意味がない。
それは本当の優しさじゃないのだ。
そんなことを思って。今回、元恋人の苛立ちを肩代わりしてあげられたらよかったと思った。ゲームのパラメーターみたいに、こっちに移して、ほいっと僕が忘れていく。
そんな回復職みたいになことはできないから、人間というのは、その常々で、必死で誰かのために生きないといけないのだ。