その気持ちは残るのか
その気持ちは残るものなのか。
小学生低学年の頃、僕はほとんど喋らない子供でした。そんな性格が未だ残っているようで、
お盆の休み明けに誰とも喋りたくないと思っていまして。
それでも仕事にはいかないといけませんから、2日間ほどほとんど黙って仕事をしていた。
そしてふと、ある人を思い出した。
それはこれまでも人生で、トップレベルに不思議だと思ったことですが、なぜかすっかり忘れていた。
それは3年前。
看取りをサポートはせてもらっているのですが、そこで「脳梗塞後遺症による半身不随」という方がいました。
こういう仕事をしていると、珍しいことではないのですが、依頼書が来たときはまさか一切喋れないとは思いませんでした。
4月の葉桜が美しい頃、他の患者さんたちと同じようにその方の主治医か、電話がかかってきて「自宅で最後を過ごしたい患者がいる」という旨と情報提供書があった。
いつもと変わらない仕事。
「末期癌」と「脳梗塞後遺症」とあって。
さっきも書いたけど珍しいものではない。
よくあることだ
そして初めて訪問をしたとき。
後遺症で半身不随だとは聞いていましたけど、本人が一歳喋らないので、息子さんに「喋れないのですか?」と確認をすると、「喋れない」とのことで。
でも、本人は真っ直ぐにこちらを見ていて、なにか人生を受け止めているように穏やかでした。
「それではよろしくお願いします」と僕は挨拶をして、本人も息子さんも承諾をした。
看取りを手伝っているとドラマがあります。急に患者さんがわがままを言い出したり、死ぬのが怖くなったり。
その人の場合、すべて受け入れているのか?と思えるほど最後まで落ち着いていた。
「これはここにおきましょうか?」と聞くと、
無言で頷いて
「これは明日使ってくださいね」と伝えても、
無言で頷いて
「それじゃあ明日もよろしくお願いします」と言うと、
無言で頷く。
それはなんというか、ふとさっさと帰って欲しいのかなというような感じもあったけど、そうじゃない。
どこか受け入れているというか、例えば、RPGゲームをしていて、街の人と話しをするときは、そのすべてを受け入れるしかないというような。
Aボタンを淡々と押しているような。
そんな受け入れる穏やかさがあった。
そして息子さんが打ち明けてくれた。なにかの話しをしていたときに、「実はリハビリをしたら少しは喋れるように戻ったのに、しなかったみたいなんです」
ん?どういうことだ。
あの穏やかさは何かを諦めたということか?
「どういうことですか?」と聞くと、ほんの少しだけ説明をしてくれた。
「本人が一人で暮らしていたときの話なので僕もよく知らないのですけど。脳梗塞をしたとき、すぐにリハビリをしたら喋れる状態に戻れたのに、それを拒否したらしいです」
「なんでしなかったんですか?」
少し間があった。
「元々無口な人ではありましたから、たぶん喋りたくなかったのだと思います。」
渡りに船だったということか。
「そうですか」
なんとなく会話を続ける雰囲気ではなくなったので、そこで会話の終わったのですが、その話を聞いた後、本人さんを見るとどこか清々しそうだった。
でも、僕もずーっと昔に似たようなことは考えたことがあった。
それだけです。
これはそれ以上のことはない話です。
だけどそとのき、僕の胸にちょっと変わった色が混じった。
そして、今更ながらに「本人に理由を聞いておけばよかった」と思った。
でももう一度あの場に戻ったとしてもやっぱ理由をきくことはできないと思います。
昨日、川辺をあるきながら、ふと空に浮かんだ月を見て、この世は簡単に「YES」と「NO」で片付けられるものじゃないなと思った。
そういう話しです。
お盆明けに人間嫌いが久しぶりに再発して、ちょっと嫌になっていたけど、すべてを二つに分けることはできない。いろんな人がいる中でいきていかないといけないだと思った。