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優等生でもヤンキーでも。家庭を積み重ねていくことに意味がある。

X(旧Twitter)で他人と会う約束をしたときのこと。

これについて書かせていただきたいのですが、そこで得られた経験があるという話しではなくて、いつもと違うシチュエーションのなかで、ふと「何とも思ってなかった日常」が恋しくなった話しです。

ぼくの家庭環境は普通でした。誇れるモノなんて全くなくて、団地にある一軒家で暮らしをしている。そこで家族5人、わーわー言いながら日々を過ごしていた。中学生・高校生のときは、母親が毎日料理を作ってくれていて、家に帰っては姉二人となんとなしにテレビを見ながら食事をして、順番にお風呂に入って眠っていく。そんな繰り返し。

ただ単身赴任で父親がほとんど家にいなかったことは世間の多数派と違ったところでしょうか。

とにかく貧乏くさくて、野暮ったい家族のことを恥じていた。「絶対に来ないで!」と参観日のときには必ず両親に念押しをしていたし、同級生には家族の姿を見られたくないと間違いなく思っていたし、パンクロックにハマっていた僕は、できればルックスがよく、もっと品のある家庭であって欲しいと思っていた。それは平成版ちびまる子ちゃんみたいな感覚だったかもしれません。

さて、そんな僕が大人になって「X(旧日Twitter)で他人と会う約束をすることになった」ことへ話しが飛躍していくのですが、最初、Xのアカウントに「こんばんは」とメッセージが届いたときは驚きました。

こんな無名アカウントに誰がDMを送っているというのか。

その相手アカウントを見てみると、こちら側がフォローしている同世代の女性からです。まさかそんな人からDMが来るとは思わない。しかも女性からという。

すぐにDMをしてきた理由を聞いたのですが、どうやら女性は「誰かまともに話しを聞いてくれる人を探していた」とのこと。
日常が辛くて限界だったようです。

本当なのでしょうか。こうして書いていると嘘を吐かれているようですが、直感的にはホントっぽく思えていた。

その方は週末に2~5回くらいの身の回り(親や会社)の愚痴や不満を投稿していて、どこか満たされていない感じだなと思っていた。

そして。

正直、下心を持ちながらもDMをしたのですが、、、そして、とうとう
「直接あいませんか?」と向こうからDMが届いた。

こういった類の出会いがあるとは。

ちなみに僕のアカウントは、思ったことをたまに投稿しているだけの注目度ゼロ、ど最底辺のユーザーです。
だから向こうはDMを送ってきたのかも知れませんが。

そして、
ついに「〇〇に19時半に会いましょう」となった。
YouTubeやネットを見ていると、SNSのDMから出会いがあるとは聞きますが、まさか自分の身にそれが起こるとは

約束の当日

19時30分の10分前から待っていたのですが、刻一刻とそのときが近づくほどにどんどん緊張をしていました。
そして高校生のときの家族で過ごしたことを思い出した。

たまにヤンキーがグレていても、いつか親がちゃんと見守っていたら感謝をされるときがくる。と聞いていたことがあったのですが、ふと、こういうことかと思った。

なんだかそのとき、「いつでも戻れる」という場所があったことがどれだけあのときの自分が救われていたからと気づいた。

家族を誇りに思ったことがなても、むしろ喧嘩ばかりで、嫌々する存在だったとしても、ふと遠くまできてしまったとこに、ずーっと繰り返して過ごしてきていたことが何かの証のように「大丈夫だよ」と言ってくれる。

僕はこれまで自分が結婚をしたときにはハイセンスで優雅な家具に囲まれた家庭で暮らしを築きたいと思っていた。
だけど家庭の大切なことは、毎日無駄のような日々でも、ちゃんと積み重ねておくのが大事なのだと思ったのです。

そうしていれば、いつかなにかあったとき、「いつでも戻っておいで」と、なんとも思っていなかった日常をありがたいと思ふときがくるのだ。

その日は結局、相手女性は現れませんでした。「仕事で遅くなるので、また今度にしましょう。」とあとからDMが届いた。

なにはともあれ、一ついい経験をしたなと。
ドキドキとしたときにずーっと昔のことを思い出していたという話しです。

終わり。

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