数年間続けているルーティンは危ない
恋人がいても丸1日遊びはしなかった。
これはずーっと続けているルーティンで、あの頃も「午後からの待ち合わせでいい?」と午前中はカフェでパソコンと向き合ってから、遊んでいた。
元恋人の方は自分の好きに過ごしたい人だったので、、、いや、というよりはゴロゴロとしたい人だったので、お互い納得をして午前は自由に過ごした。
こっちは筋トレをしたり、執筆をしていて。
そんな暮らしで数年が経ちます。
彼女とはもう別れていますが、(別れた原因はそれではないです)今もやると決めたルールは99%こなしている。
一人でランニング、執筆、筋トレ、読書。
休日はあっという間に過ぎていて、いつも「今日もパッとしない文章しか書けなかったなー」と後悔をしながら、夜8時頃にいつものスーパーに出かけている。
そんな暮らしの根底は、「執筆」も「仕事」も「人生」も手から取り溢したくないから。とくに「執筆」だけは逃したくない。
そんななか、日常が「小事」では?と恐怖を覚えることがあった。
それは誰にでもあること
先ほども書いたのだけど、夜8時に後悔をしながらスーパーへ出かけています。
「これじゃ売れないよなー」と。
ニンジンやほうれん草を手に取りながら、「それでも夢は語るべきだ」と、夢を見ている。
そしていつも鼓舞している。
そしていつも呟きが始まる。
「松本清張さんや夏目漱石さんも遅咲きだったはずだし、abサンゴを書かれた黒田夏子さんなんかでいえば75歳でデビューをした。このnote にいればまだ花を咲かせる可能性があるはずだ」と。
しかしそれってもう偽物の呟きだと思ったのです。
本当の不安って、たぶん思い付いた瞬間からドキドキとしだすはずだし、血の気が引くものだし、そうではなくてコレはちょうどいい感じに敵を作って、それを倒しているだけ。
ジャガイモを手に取りながら「これじゃ売れないよなー」と体よく怖がっている。そしてそれを倒すことで安心を得ているのだ。
「ただの一人で茶番劇」と名付けましょう。
いや、ほんと。
まるで「硬式野球を目指している」と宣言しておきながら、河原で一人カラーバットをブンブンと振り回してして悦に浸っている感じ。
ちゃんと現実に合った物差しで計って、その文章が通用するのかを確認しないと、その努力は無駄になってしまいます。
とはいえ、やることは変わりなくて。
まあ一応、noteに溢れている日記・エッセイを読み漁って、良いと思うものも、悪いと思うものも自分のなかを通過させた。
そしてまた文章を書いている。
いつも見慣れた敵を作っているときは気をつけないとね。そのときの景色は心地よいから。という話し。
さて、いつかこのカラーバットで硬式球を打ち返せるように練習しないと。
今日はちょっと強い敵を倒しに行ってきます。