ごちゃごちゃと茶碗と新聞紙の置かれた台所で
ごめんなさい。
自分でもつまんない記事と思う。だけどこれをメインに活動したくて、つい推敲をしすぎた結果です。
空回りをしていますが、僕が見てきた人間像を書いていこうと思うので是非よろしくお願いします。
では、銭婆みたいだと思った方についてのエピソード。
始まり始まりー
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この話しの1年前から始まります。
これから書くのは、「誰もが死に近づいているのだ」ということののですが、伝えたいのはそこではなく、
「この人は大丈夫と思っていても命の転機は訪れる」ということ。
最初の訪問。
専門的な説明はすっ飛ばしまして、とりあえず肺が弱っているのに感染症になってヤベーぞっという状況から。
その方は男性高齢者で、僕は医療の仕事について、そういった(末期癌や認知症などで)、医療・介護が必要なお宅へ伺っている。
具体的にやるのは薬を届けるだけですが。
その日の午後7時、連絡は急に入って。
「感染症が落ち着かないから、抗生剤を継続」との指示があったので、急いで社用車を飛ばしてその山際にある団地の古い一軒家に向かいました。
台所の戸口からそのまま入ってきてとのことで、茶色いドアを軽くノックして入ると、お婆さんが静かに座っておられました。
妙に静かな家だなと思ったけど、今思うとテレビがなかったからだと思う。茶碗や新聞紙が積まれていて、まるで銭婆みたいな家だと思った。
そうして仕事をこなし。
奥さんがとも聡明な方で、介護もしっかりされていた。
年齢で言えば70くらいの方だったのですが、まるで同年代と喋っているかのようにすぐ伝わる。
「では、これを飲ませてください」
「うん、分かったよ」
とそして、最後に薬を渡して帰ったのですが、なにかが印象に残るお宅でした。
そして1週間後に、なんとなく気になって、担当者の同僚に話を聞くと、状態は持ち直して患者である旦那さんは普段通り暮らしているとのこと。
なんとなく奥さんの「徳」がすべてを追い払ったような気がしました。
そして先週、約1年ぶりに僕がそこへ伺うことになったのですが、奥さんから「私、ガンになったの」と告げられた。
「そうなんですね」
「そうなの」
「怖いですか?」
「手術をしたことがないからね」
まさか、病気に冒されると思っていなくて驚きました。
だけど、「怖い」と言いつつ、そこに恐怖は見られませんでした。
淡々としている。
そして今頃入院をしているはずの頃なのですが、人間とは、どんな人でも平等に老いるのだと思いました。
いつ、なにが起こるかわからない。
たまに不思議なパワーを持っている人もいます。だけどだいたいは変な人だったりします。またそれは別の記事。
この世の中はあまり理性的に生きても意味はないのかもしれない。
そんなことを想いながら、今日も仕事をしていく。