【変身願望】ハロウィンについて思うこと【自己否定】

はいこんにちは。
イベント連発の日々が終わり、なんとか日常を手繰り寄せるために立ち上がった作詞家、藤橋です。
これからまた音楽ライブやお笑いライブ、忘年会の仕込み、楽曲制作等の納期が押し寄せてきます。はちゃめちゃな日々を乗り切った先には何があるのでしょう。案外何もなかったりしてね。

恒例の自己紹介はこちら。

さて、今回は
ハロウィンについて思うことを書いてみます。

もう何年前からでしょう。
街中が仮装した若者でごった返しお祭り騒ぎになる、というのがもはや普通になってきました。

ぼくのような年寄りからすると、そんなもん何が楽しいんだ?となりますが、
実は、日本人と仮装の関係を紐解くと、そこには古い歴史があるようです。

まず、人はなぜ仮装をするのか?を考えたときに、多くの人は「変身願望」という言葉が頭をかすめると思います。
ではなぜ人はこの「変身願望」を抱くのか。

ふたつの角度から考えてみます。

ひとつは、自己受容。
ふたつめは、消費行動。

自己受容について

人の自己受容に関する研究のアンケート結果によると、
自己の努力すればある程度どうにかなる部分(体型、顔つき、知性、経済状況)については「気になる」、
努力ではどうにもならない部分(家族、性別、年齢)については「気にならない」といった回答が多かったとのことです。

変身願望は自己否定から来ますが、
自己の何を否定しているかと言うと、
努力すればどうにかなる部分をどうにもできていない・していない点を否定し、自らに対してストレスを感じているケースが多い
ということが読み取れます。

その裏側には、現状を「こんなはずではない」と信じているプライドの高い自分がいるのでしょう。
「まだ本気だしてないだけ」みたいなことでしょうか。

○○世代の人は欲がない、プライドがない、等と言われますが、
しっかりと強めの自我を持っているのですね。


消費行動について

よく耳にするのが、
日本人の消費行動の対象が「モノ」から「コト」へ変わってきた
という話です。

物理的に豊かな時代を生きている我々は、
高価な物に囲まれて得る満足感よりも、新鮮な体験からくる刺激を重視する傾向がある、とのことです。

確かに、です。

ぼくなんか体験しか売っていません。

また、こと仮装に限ると、これは異性からの賞賛よりも同性からの共感・支持を求めた行動であるケースが多いそうです。

モテたくてバンドやる、みたいな時代はもう古いようです。



以上の二点から考えるに、
変身願望と、体験を求める消費行動は近接しているように感じます。
これがハロウィンの盛り上がりの秘密なのでしょうか。


また、仮装に関して言うと、その歴史は江戸時代まで遡るそうです。

有名なもので言うと、男装・女装での「ええじゃないか」運動や
芸妓が仮装して祇園を歩く「ねりもの」など。

時を経て、アメリカから「世界SF大会」がやってきた影響も大きいとのこと。

時代背景的に、国民のストレスが大きくなる頃に流行っているのかな、と感じます。
何かを伝えたい、打ち破りたい、等のエネルギーが人を変身させるのでしょうか。


以上、まとめると、
平成~令和という特異な時代に仮装が流行るのは自然なことであるようです。

渋谷のハロウィン等、ただの迷惑行為のように報じられていますが、
体制や時代への不満があのような形で小爆発しているうちはまだまだ平和とも言えるのではないでしょうか。

そして、
もし自分が為政者だったら、メガサイズの爆発が起こる前に、ある程度小さく爆発させて空気を抜いておくことを意図的にしかけると思います。
ちょっと陰謀論っぽい話ですが。


色々書きましたが、
前日が誕生日の自分は、毎年ハロウィンには我関せずの態度で過ごさせていただいています。これは幸運でした。

かぼちゃ食べれないし。

最後までお読みいただきありがとうございました。
ではでは。

いいなと思ったら応援しよう!