大阪のおばちゃんは、人付き合いの中庸だった?!
アリストテレスの「二コマコス倫理学」第4巻その他の<性格の徳>および悪徳を読む。読み進める中で、アリストテレスが名付けできなかった「人付き合い」の中庸に、昨夜の禅庭研究会で登場した大阪のおばちゃんが、まさに当てはまりそうなことを発見して焦っている!
浪費や貯めることより、適切に使う方が難しい
「二コマコス倫理学」の第四巻第一章では、アリストテレスは「気前の良さ」、「消費」、「ケチ」について論じる。アリストテレスによれば、気前の良さは、金銭の管理に関する徳の一つで、金銭をどのように使うかについての適切な判断と行動を指す。これは、適切な場所、適切な人々、適切な目的、適切な方法で、そして適切な量を寄付または支出する能力を含む。
それに対して、消費は、金銭を適切な場所や方法で使うことなく、無分別に使い果たすことを指す。この行動は過度であり、アリストテレスによれば、これは悪徳と見なされる。一方、ケチは、必要や適切な目的のために金銭を使うことを避ける行動を指す。これもまた悪徳であり、適度な対象や目的への投資や寄付が必要なときにそれを行わないという、金銭管理の「不足」を示している。したがって、「気前の良さ」はアリストテレスの「中庸」となる。
気前の良さは、一般的に物質的なリソース(特にお金)を分け与える意志や能力であり、自分の資源を他人と共有することを楽しみ、他人のニーズや幸福に投資するために自分の資源を使うことをいとわない。度量の大きさは、現在私たちが考える、人が他人の行動や選択に対して寛大であり許容的である能力とは異なり、アリストテレスは、支出的なもののみの大きさに焦点を当てる。そのため、気前の良さは、度量の大きさの前提、必要条件となる。一方、気前の良さの十分条件は、物質的なリソースを持ち、そのリソースを適切な人々、適切な目的、適切なタイミング、適切な範囲で分け与えることができる能力と意志を持つことだろう。貯めることよりも、適切に使う方が難しいわけだ。
自身の審美基準によって規制する高邁
高邁は、個人が自己の価値と可能性を認識し、自分自身の成果や業績に対する公正な評価を持つことを指す。その必要条件は、まず、何らかの実質的な成果や業績が存在し、それが個人によって達成されたことが認識されることが必要だ。なぜなら、これらの業績や成果がなければ、個人が自己評価を行うための基盤が存在しないからだ。
高邁の十分条件は、その成果や業績に対して公正な評価を持ち、それに基づいて自己評価する能力と意志を持つことが求められる。つまり、高邁は、自身の善美の判断によって認識されるのだ。それによって、自分の業績を適切に評価し、適切な誇りを持つことができる。
人付き合いのコツは、大阪のおばちゃんに学べ
第6章で議論されるのが、「人付き合いに関わる名前なき中間の人」である。これは、おべっか使い、愛想よし、意地の悪い人、喧嘩っ早い人が両端になる様な中庸を示すが、アリストテレスは、その概念をいいあてることができなかった。それは、その当時その概念が顕在化していなかったのかもしれない。今回、それはもしかしたら大阪のおばちゃんではないかと思い当たったわけだ。
大阪のおばちゃんは日本の大阪地域に住む中高年の女性を指す言葉で、一般的にはその直接的な言葉遣い、社交性、おおらかな性格、お金に対するリアルな視点などが特徴とする。
直接的な言葉遣い: 大阪のおばちゃんは、思ったことをストレートに表現する傾向がある。これは、他人とのコミュニケーションにおいて明確さと率直さを重視する文化的な背景から来ている。
社交性: 大阪のおばちゃんは人との交流を楽しむ傾向がある。コミュニティ内での交流や地域行事に積極的に参加し、他人とのつながりを大切にする。
おおらかな性格: 大阪のおばちゃんは、物事をポジティブに受け止め、忍耐強く対処すると言われている。彼女たちは、困難な状況でもユーモラスな視点を保つことで、困難を乗り越える力を見せる。
お金に対するリアルな視点: 大阪は商業の中心地として知られ、大阪のおばちゃんは、価値とコストを理解し、お金を実用的に使う方法をよく理解している。
上の特徴と、人付き合いの両端を考察してみると、
おべっか使い:大阪のおばちゃんは、相手を立てることで有名で、それはある種のお世辞に見えるかもしれない。しかし、そのお世辞は人々を喜ばせ、コミュニティを強化するためのもの。
愛想よし:大阪のおばちゃんは、コミュニティの心を持ち、ユーモラスで親しみやすい性格があり、これは愛想のよさと直接結びついている。
意地の悪い人:大阪のおばちゃんは直接的であり、それは時には意地の悪さに解釈されるかもしれない。しかし、それは常にユーモラスな気持ちと深い愛情からくるもの。
喧嘩っ早い人:大阪のおばちゃんは感情的で直接的であり、喧嘩早さと解釈されることがある。しかし、これは彼女たちが自己表現する力強さを示し、自分たちの声を届ける意志を示すもの。
のように、解釈できるかもしれない。明らかに、大阪のおばちゃんの特徴は、これら4点に囲まれている。ここでは、「人付き合いに関する名もなき中庸」を、大阪のおばちゃんと言おうではないか。
近傍と相互作用する商人文化が現代人に伝えること
大阪のおばちゃんの特性を考える際、それは大阪の商人文化と深く結びついている。大阪は歴史的に日本の商都であり、市民たちは交易、商売、お金の流れに深く関与してきた。この商人文化は、利益を追求する一方で、社会とのつながり、信用、相互利益という要素を重視している。
大阪のおばちゃんの特性――現実的な視点、コミュニティの心、他人を立てる技巧、誠実さなどは、この商人文化の影響を反映してる。商人文化においては、利益を最大化するためには信用と長期的な関係が重要であり、そのためには相手を尊重し、時には相手を立てることが必要となる。そのため、「おべっか使い」や「愛想よし」の特性は商人文化と一致する。また、「意地の悪い人」や「喧嘩っ早い人」の特性も、商人文化における交渉力や主張力として解釈できる。大阪のおばちゃんは、その中庸を行動論理として体現している。
一方、武家文化は、主に名誉、忠義、勇気、忍耐などの価値を強調する。これらは、戦争や政治の舞台での生存と成功を保証するための特性であり、大阪のおばちゃんの特性とは異なる面を持つ。武家文化では、直接的な対決や個人的な名誉が重要視されるのに対し、商人文化では交渉、調和、相互利益が重視される。武家文化に見られる様に、東京に根付くのは、距離感のあるわきまえのある対応。それに対して、近傍と相互作用する商人文化を、基礎にする大阪のおばちゃんの行動は、自身の社会的な立場を保持しつつ、他人との良好な関係を維持するための独特な方法を展開しているのかもしれない。
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