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【追悼】森永卓郎さん 最期の言葉から思うこと 〜皆で「楽しい社会」を作りたい〜

先日、1月28日に経済アナリストの森永卓郎さんが原発不明がんのため、67歳で亡くなりました。森永さんが亡くなる前日まで、ラジオ出演を続けていらっしゃたこと、生涯現役を貫かれたことに大和魂を感じずにはいられません。心より御冥福をお祈りいたします。

森永さんが最後に出演した1月28日のラジオ番組で話されたことが非常に印象的でたいへん共感する内容だったので、今回はそれについてお話したいと思います。

森永さんの最期のメッセージはこのようなものでした。

森永卓郎さん 最期のメッセージ

「楽しい社会って何なのかというお話をしたいと思うんです。石破総理が、施政方針演説の中で、「楽しい社会を作るんだ」っていった時に、多くの国民が「何わけのわかんないこといってんの?」と思ったと思うんです。かく言う私もそうだったんです。ここに来てあらためて思うようになったのは、案外それが正しいんじゃないかということなんですね。なんでかというと、今世の中で、何が起こっているかっていうと社会を分断して、みんなで弱ってる方を袋叩きにするっていうのを楽しみにしている人が実は本音では多いんじゃないか。一部の人たちを、ボッコボコにすることによってストレスを発散するような社会っていうのが本当にいい方向なのかなっていうのを思うわけです。もう一度、どうしたらみんなが「楽しい社会」「楽しい文化」を追求できるのかっていうのを議論し直さないといけないんじゃないかなって私は思うんですよね。だから、そういう意味でもね。私はエンターテイメントの果たす役割って、すごく大きいって。私も隅っこでは発言してるんですけど、エンターテイメントって、別に何の役にも立たないわけです。でも、そういう時代だからこそ、楽しめる社会を作るために大きな貢献ができるんじゃないかという気がして仕方ないんですよね。本当に、じゃあ我々なんのためにこの世に生まれてきたのかというのは、私は人を袋叩きにするために生まれてきたんじゃないんだと思うんですよ。だから…その、世の中に役に立たないものだけにこういう時代は(エンターテイメントが)一番役に立つんじゃないかと思うんですよね」

大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)より

さて、皆さんはどのあたりが印象に残りましたか?

私も、現在の社会の在り方に疑問を抱いています。最近では、世の中が「弱者を叩く」構図がますます顕著になっているように感じます。例えば、中居正広さんやフジテレビの問題もそうではないでしょうか。12月の時点では、皆が牽制し合いながら慎重に扱っていた話題だったはずが、時間が経つにつれて徐々に過激になり、今ではまるで「袋叩き」の状態になっています。相手が何も言えなくなった途端、世間は一斉に攻撃を始め、その様子があたかもエンターテイメントであるかのようにメディアで取り上げられ、視聴者もそれを楽しんでいるように見えます。

私は、中居さんやフジテレビを擁護したいわけではありませんし、そもそもその問題そのものに関しては特に関心があるわけでもありません。しかし、こうした「誰かを徹底的に叩くことを娯楽化する社会の在り方」は、本当に正しいのでしょうか。これこそが、本来議論されるべき問題ではないかと思います。

私は教育者なので、この社会の構図を「教育」の視点から考えてみました。すると、これはまさにいじめの構造とよく似ていると感じます。いじめには「加害者」「被害者」「傍観者」が存在すると言われますが、今の社会にも同じような構図が見られるのではないでしょうか。

いじめの構図と「傍観者」の役割

いじめには 加害者(いじめをする側)被害者(いじめを受ける側)、そして 傍観者(いじめを見ているが関与しない側) という三つの立場があります。それぞれの特徴を整理すると、次のようになります。

1. 加害者(いじめをする側)
• いじめを主導し、個人またはグループで行動することが多い。
• 支配欲やストレスのはけ口、承認欲求の強さが動機になることがある。
• 被害者をターゲット化し、孤立させることで優越感を得る。

2. 被害者(いじめを受ける側)
• 少数派や異質な特徴を持つことでターゲットになりやすい。
• 加害者との力関係が不均衡であり、反撃が難しい。
• 自信を失い、「自分が悪いのではないか」と思い込んでしまうこともある。

3. 傍観者(いじめを見ているが関与しない側)
• いじめが起きていることを認識しているが、介入しない。
• 大多数がこの立場になりやすい。
• 傍観者の行動次第で、いじめの継続や解決が決まる。

本当にいじめをなくすために重要なのは「傍観者」の存在です。

そして何よりも問題なのは、子ども社会のいじめ問題をなくそうとしている一方で、大人社会では平然と弱者を攻撃する現象が起きている という矛盾です。これでは、いじめがなくなるはずがありません。

私たちにできること

では、この状況を変えるために、私たちが意識できることをいくつか挙げてみます。
1. 「面白がる側」にならない
• 誰かの失敗やスキャンダルを「ネタ」として楽しまない。
• SNSやテレビでの過剰なバッシングに流されない。誹謗中傷は絶対にしない。
2. 「傍観者」から「支援者」へ
• いじめや誹謗中傷が起きたとき、見て見ぬふりをせず、状況を改善する行動を取る。
• SNSで攻撃を受けている人に励ましの言葉をかける。
3. 言葉を選ぶ意識を持つ
• 何気ない言葉が誰かを傷つける可能性があることを意識する。
• SNSで感情的な発言や誤解を招く情報を拡散しない。
4. いじめの構図を知り、教育に活かす
• いじめの「加害者・被害者・傍観者」の関係を子どもたちに伝える。
• 「誰かを笑い者にする文化」を作らないようにする。

最後に

今回、森永さんが最期に投げかけた「楽しい社会」という言葉から、どんな社会が本当に楽しい社会なのか、そしてその社会を作るために一人ひとりがどう変わっていけばよいのかを考えてみました。

誰かを傷つけたり、叩いたりすることを娯楽にするのではなく、誰もが安心して生きられる社会こそが、本当の意味で「楽しい社会」なのではないでしょうか。

森永さんの言葉を胸に刻み、私自身もこの社会のあり方について考え続け、行動に移していきます。そして、この記事を読んでくださった皆さんが、それぞれの形で「楽しい社会」について考えるきっかけしていただきたく思います。
そして森永卓郎さん、改めて心より御冥福をお祈り申し上げます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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