縁を大切にしたい
息子が幼稚園時代に知り合った愛ちゃん(仮名)
一般的には、ママ友というのかもしれないが、男の子と女の子の母ということもあり、子ども同士は特別仲がいいというわけでもなかった。
今となっては、何がきっかで仲良くなったのかも思い出せないけれど、「チョコさんとはママ友ではなく、友達だからね」と言ってくれたことは、15年以上経った今でも覚えている。
5歳以上歳が違うのにね。
嬉しい。
震災の時は、情報を共有しあった。
メールでの情報交換。
充電切れにならないよう手短に伝えあった。
震災から数ヶ月経った頃、旦那様の転勤が決まり彼女は他県に引っ越していった。
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息子が6年生の時、わたしは子ども会の本部役員だった。
その中に川口さん(仮名)という女性がいた。
彼女の娘さんも6年生だった。
息子とは一度も同じクラスになったこともなく、最終学年なのに、親も初めまして状態。
卒業間近ということもあり、役員同士の雑談では、入学の頃から振り返ることが多かった。
当然、震災時の話にも。
息子たちは、4月から年長さんになるところだった。
川口さんは、自分の実家に避難したかったが、新幹線は途中までしか動いておらず、ガソリンも残り少なかったので、すぐには帰ることができなかったらしい。
周りにも同じような人がたくさんいただろう。
私もすぐには動けなかったから。
それぞれが考えて、色々と決断しなければいけなかったのだ。
「友達の友達に飛行機で東京まで行った子もいるよ」と川口さんが教えてくれた。
「旦那さんが一緒に行けないから、6ヶ月ぐらいの子供と幼稚園の子供を連れて飛行機に乗ったんだって。みんな必死だったよねぇ」
あそこの空港から東京行きの便は、普段はない。
あの時の飛行機は、避難や移動が必要な人のための臨時便だったのだろう。
「うちは新幹線で那須塩原まで行き、そこから親の車に乗った」
そうそう、たしか新幹線が那須塩原までしか行かなかったんだよなぁ。
わたしも最初は新幹線で那須塩原まで行き、そこから弟の車で東京までも考えていたっけ。
結局、弟が飛行機のチケットを手配してくれ、地震から10日ほど経った頃、子供二人を連れ、東京の実家に避難したなぁ〜などと思い出していた。
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転勤族の愛ちゃんは、
上の子が中学生になるタイミングで、旦那様だけが単身赴任という形に変わっていた。
これも転勤族あるある話。
うちと同じになったんだね〜なんて
LINEで数回やりとりしてから
電話に切り替わるのはいつものこと。
LINEよりも話したいよね〜と思ってしまうお年頃である。
あのままここに住んでいて、お互いの夫がずーと単身赴任だったら、週末はいつも一緒に遊んでいたかもね~なんて他愛もない話が尽きない。
「ねぇ〜チョコちゃんの息子くんどこの小学校だっけ?」
「〇〇小だよ」
「たしか私の友達の子供も〇〇小って言ってた気がする」
「そうなんだぁ」
「川口さんって知ってる?」
「子供の名前は?」
「あさみちゃん」(仮名)
「えっ?川口あさみちゃん?今、そのお母さんと役員一緒にやってるよ~」
「そうなの?最近はあまり連絡取り合ってないんだけどね。仲が良くて家にも遊びに行ったりしていたんだよぉ」
「今度会った時に話してみるね~」
次の役員会で川口さんに確認したら、愛ちゃんとはよく遊んでいたらしい。
愛ちゃんという共通の友達がいたことをお互い知らずに過ごしていたのだ。
愛ちゃんと川口さんは、mixiつながりだった。
転勤族の愛ちゃんが、引っ越し先での友達をmixiで探していた時に知り合ったとのこと。
あの飛行機話は、愛ちゃんから聞いた話で、その東京に帰ったという友達は、実はわたしのことだったと後に判明。
自分の話を別人の話として聞いていたのである。
そりゃぁ共通部分が多いわけだわぁ。
って違うところなんてあるわけないじゃん。
川口さんの娘さんは、その後、うちの息子と同じ高校に進学。下の娘さんもうちの娘と今同じクラス。
川口さんとは、年々親しさが増してきている。
自分が気がついていないだけで、実は繋がっているというケースは意外に多いかもしれない。
人と人のつながりって、何がきっかけになるかわからない。
同じことの繰り返しのような毎日かもしれないけれど、たまたま入った喫茶店の横に座っていた人が、数カ月後には大切な人に変わっているかもしれない。
そう考えると楽しくなってきますよねぇ。
あ~愛ちゃんの声が恋しくなってきちゃったよぉ。
では、また☆