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ご存じですか?「道路交通法施行記念日」
いろいろな記念日があるけど、道路利用者にとって大切な道路交通法。この法律の施行を記念した日というのがあるそうです。
|道路交通法施行記念日とは
現在の道路交通法が施行された日が、1960年(昭和35年)12月20日であり、その日を記念して、「道路交通法施行記念日」と称しているそうです。
とはいえ、警察等において特別なイベントなどを行っている状況は見られないですね。
|道路交通法制定の経緯
ザックリと道路交通法に至るまでの経緯をまとめてみました。
① 自動車取締令:大正8年1月11日制定(同年2月15日施行)
自動車に係る省令で、自動車の構造 (その検査も含む。) 及び「運転手免許」 に係るもの。
なお、大正8年自動車取締令では「運転免許」ではなく「運転手免許」とされてた。
② 道路取締令:大正9年12月16日制定 (内務省令第45号)
道路交通全般に関する省令で、旧明治憲法下時代で、法律にはよらず、内務省の省令によるもの。軍務中の軍人・軍属は規制対象とはならなかったようだ。
③ 道路交通取締法:1947年(昭和22年)11月8日制定、1948年(昭和23年)1月1日制定
新憲法になり、昭和23年1月1日以降、「法律」としていろいろな規制がスタートした。
道路交通取締法もかなりの内容を附属 (下位) 命令に丸投げしており、当時は不備満載の法律だいう人も多かったようだ。
参考まで記載すると、
新憲法(日本国憲法)は1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された。
日本国憲法は第8章を地方自治として定め、それまで内務官僚が就任していた都道府県知事は公選に移行されるなど、地方行政が大きく転換された。
GHQの指令を受けて内務省は昭和22年12月31日をもって解体廃止されたのだ。
④ 道路交通法:1960年(昭和35年)6月25日制定、1960年12月20日施行
それまでの道路交通取締令は廃止された。
また、関連のある法律として「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令 (昭和35年総理府令・建設省令3号)」が制定され、それまでの道路標識令が廃止された。
④-1 道路交通法の大改正(第一次)
1964年(昭和39)年6月には道交法の大改正が行われた。
その理由は1949年の道路交通条約(ジュネーブ条約)に加入しその効力が発効することに伴う法整備が主体であった。
④-2 道路交通法改正(第二次大改正)
「1968年道路交通条約、1968年道路標識・信号両条約 (ウィーン条約)」に加入することをに向けて法整備がすすめられたが、結果的にウィ-ン条約には加入しなかった。
そのため道路交通条約の内容に合わせるため車両の通行方法(第3章)などが大幅に改正された。
その後適宜の改正がされて現在に至っている。
|交通事故統計
新憲法下で「道路交通取締法」が施行された昭和23年から交通事故統計をとりはじめることになった。
ちなみに、昭和23年(1948年)の死者数が3,848人でした。その後死者数は増えて最初のピークは昭和45年(1975年)の16,765人。
この頃「交通戦争」などと比喩された時代であった。
その後、いちど減少したが、昭和58年(1983年)から再び増加傾向に転じて昭和63年(1988年)には、また1万人台を超えてしまい、2度目のピークが平成4年(1992年)の11,452人であったが、それ以降減少傾向にあり、2024年は2,663人だった。
|おわりに
いずれにしても、道交法は大きく上記のような経緯で法律が変わってきたということであり、現在の「道路交通法」という法律が制定され施行された日が、記念日となっているようです。
また、1年で2,663 人もが交通事故で命を落としているのであり、引き続き減少し続くよう祈念するところである。
参考資料:
「道路交通政策史概観」(道路交通問題研究会)