見出し画像

人生最後の仕事


本を書いていた時に、「正社員として働いたのはこれが最初で最後になった。」と言う1行を書きましたが、その後に、ご縁があって正社員として新しい事業の立ち上げに従事することになりました。

セラピストをしていたそれまでの生活から一変して、早朝から日没までとにかくよく働きました。
道の駅に入る地元の野菜やお米を扱うローカルな企業で、地元の野菜やフルーツを使ったカフェ、お弁当、市場等を切り盛りしました。

若い頃に喫茶店で働いたことや接客販売の仕事に長く従事していた経験とか、セラピスト時代は自営でイベントを企画したり等もあったので、これまでの経験を生かすことが出来て、やり甲斐のある仕事でした。
パートさんの面接、レジ操作、教育等、事務関係のことから、仕込み、材料の調達、農家さんとのやり取りまで、全てを任されていたので、早朝から日没まで本当に慌ただしく動き回っていましたが、経営面での事情があり、 私は1年程でその仕事を辞することになりました。
そこでは私が初めての社員で雇われていて、ここでも一番め、1期と言う立場でした。

この頃はなぜかこれが最後から2番目の仕事と無意識に思っていて、私がやるべき最後の仕事はまだ他にあるような気がしていました。

面白い仕事ではありましたが、当時の私には少しハードで、若い頃なら頑張ってやったんだろうなと思いました。

次は少し気楽にパートとして時間的に余裕が持てる仕事に就こうと思いました。
それは福祉ではありませんが、障がいの方が野菜を作りながら一日過ごせるように見守る仕事で、幾つかの企業が参入している農園でした。

その頃は将来的に自給自足をしたいと言う思いもあったので、一つのステップになるかなと転職を決めました。

私が所属したのは、高学歴の人しか入社出来ないような全国的にも有名な一流企業だったので、人生の最後にそんな企業の一員になれたことは貴重な経験でした。

ここでは、規律に従い、言われたことだけをして、夏の暑さにさえ耐えられたら時間的にも契約的にも好条件の職場でした。

ちょうどコロナ禍で安定しない時期だったこともあり、休業時も生活の保障はされていたので、安心して勤めることが出来、4年程、在籍していましたが、コロナ禍が落ち着き、日常が戻り始めると自分の中に少しずつ矛盾を感じるような問題が起き始めていました。

言われたことしか出来ない日々の業務にも少しばかり物足りなさを感じるようになり、収容所に居るようなイメージが浮かんできました。

自分は本当にここに残りたいのか、このままここに居て後悔しないのか、このままだと、これまでの人生が無になって、全てが報われないような虚無感を感じるようになり、
自分はこれから残りの人生で何をしたいのか、やり残していることがあるとしたら、それは何なのかを考えるようになりました。
 
そしてこの企業の入社時に最終学歴の証明をもらってくるように言われたことが、心のどこかに引っかかっていたことに気がつきました。

学歴、年齢不問でありながら、それが大企業の常識なのか、自分が信用されていないのか、それまでの仕事では不自由を感じてこなかったことを改めて考えるきっかけになったのは、必然のことだったのかもしれない。

私にやり残しがあるとしたら、早く社会に出たくて働くことを優先してしまい、みんなと同じように学校を卒業しなかったことかも。

棚上げしてきた長年の問題を棚から卸されたように私は中途で断念した高校生活を完結させなければと、まなび直しのために通信制の私立高校に入学を申し込みました。

そして勉強を始めて半年後に背中を押されるようなタイミングで退社しました。

人生最後の仕事は何を選ぶか、アンテナを張っていると新しく立ち上げる事業の正社員を募集する情報が入ってきました。

前職との区切りのタイミングもちょうどよく、立ち上げと言うことにも魅力を感じ、お話だけでもと伺うと私のこれまでの経歴を考慮し、雇っていただけると言う有り難いお話でした。

正社員がハードで、自由がきくパートが快適だったことを思うと、ここで再び正社員に戻るのはどうかと言う不安もある中で、たまたま長女の取り引き先だったことも後押しとなり、これも何かのご縁に違いないと導かれるまま、立ち上げメンバーとして採用が決まりました。

それまでとは全く違う形態で、密度の濃い人間関係と拘束時間の長い環境に戸惑いながも新しい生活がスタートしました。

それは全くの素人が、人生最後に飛び込んだ初めての福祉の業界で障がいの方を支援すると言う仕事でした。
以前のように見守るだけと言う気楽な環境とは違い、一筋縄ではいかず、右往左往しながら、手も足も出ない状況に戸惑い、常に逃げ出したいくらい腰が引けていた私でしたが、一緒に立ち上げたサービス管理者の方や事業所のオーナーのご家族の励ましで何とか続けて来られました。

そして半年が過ぎた頃に過労とストレスによる免疫の低下が原因で帯状疱疹の診断がくだり、やむなく一週間休むことになりました。

自分でも緊張状態が続く中で無理を重ねていた自覚があり、心のどこかで、ゆっくり休みたいと強く願っていたこともあり、思いを引き寄せた必然の結果と思いました。
無理を通せば道理が引っ込む。

それでも人手不足で自分が欠けるわけにいかないという無限ループにハマり、更に自分の気持ちを押し殺し、自分を騙し続けていましたが、その半年後に肩に来ていた痛みが悪化し、もうこれが限界、自分に無理を課してはいけないと悟りました。
誰かのために無理をして、仕事といえど自己犠牲でその場をやり過ごそうと言うのは良いことではなく、やむなく傷病休暇をいただき治療に専念することになりました。
休職後の正社員としての復帰はおそらくないでしょう。強制終了ですね。

そんなこんなで、初めての正社員から50年後に人生で2度目と3度めの正社員を経験することになりましたが、生業(なりわい)を見つけたいと言う課題は、生活のために無理を重ねただけで、私が本来、望んだことではなかったと気づきました。

というわけで、「最後から2番目の仕事」と私が無意識で言っていたのは、おそらく
「最後から2番目の正社員としての仕事」だったようで、この3度めが正社員として最後の仕事になりました。

これまで様々な職業を経験してきましたが、ここから何をしていくかですね。
果たして正真正銘の人生最後の仕事は何になるのか?
まだ人生の旅の途中で、出発は足止めをされてる状態です。











いいなと思ったら応援しよう!