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【短歌】おやすみと言う声がない母の家、人っていつか逝くんだと知る

 人間いつかは死ぬものだ、と言うのは、私の一つの人生の信条である。自分より年上の方々が年老いて亡くなるのは当然のことと思っている。もちろん自分もその領域に充分に到達しているのだが。
 今年四月に介護施設で母が眠るように亡くなった。父親は三十年以上前に病気で他界している。そしていつか母も逝くんだという覚悟は十分できていた。だから、母が亡くなっても悲しさはそれほどでもない。人間って死ぬんだなと実感した、と言うのが正確な感情だ。
 しかし時折、本当に逝ってしまったんだと気づいて寂しさを感じる。亡くなってから諸々の用事(神道の五十日祭や初盆)で母の家に行ったとき、いつも座っていた食卓の席に母がいないことにはっと思う。夜のトイレに起きてきて電気が付いているのに気づく母が、パソコンに向かって夜更かしをしている私に寝室に入る前に、おやすみ、と声をかけてくることもない。
 ふと心が佇んだときに、母が逝ってしまったことに気づかされるのだ。

推敲不採用

  安らかな母の頬の冷たさに、誰でもいつか逝くんだと知る
  横たわる母の冷たさ手に染みて、誰でもいつか逝くんだと知る
  動画では元気に歩く母を見て誰でもいつか逝くんだと知る

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鳴島立雄
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