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美少女ゲームの完成形・ウイングマン2特集

1984年に発売された美少女ゲームのオリジン・ウイングマン。そこから僅か2年でパソコンゲームの状況は一変していました。ドラゴンクエストが発売された1986年、満を持して発売されたウイングマン2 キータクラーの復活とそれを取り巻く環境を追ってみました。


❶1986年の美少女ゲーム


前回の特集の84年はまだパソコンゲーム黎明期でしたが、86年では急激な進化を遂げていました。85年末にザナドゥとハイドライド2が大ヒットを飛ばし、RPGの時代に突入しようとしていた時期になります。一方美少女ゲームは1985年6月のウィル デス・トラップIIで美少女アンドロイド、アイシャちゃんが大人気に。同時期の1985年5月に天使たちの午後が初のアニメタッチのアダルトゲームとして登場しています。
しかしその人気とは裏腹に美少女ゲームの数はまだ多くはありませんでした。これはまだアニメタッチのCGを作成するのが難しかったからだと思います。そのような中で翌1986年3月にウイングマン2 キータクラーは発売されました。


アイシャちゃんの目覚めは多くのPC少年を虜に。


ゲーム自体は硬派なハードボイルドAVG。


アニメタッチのCGで多数の美少女を攻略するというアダルトゲームのフォーマットを確立した作品でした。


当時は18禁もクソもないので中学生がみんな持ってました😁

❷ウイングマンの世界にようこそ

作品として全てがパワーアップ。最も顕著なのはグラフィックが向上し、原作により近い絵柄となっている点です。このファミコンが真似のできないインパクトは絶大で、PCショップではよくデモが行われていましたね。 物語にたっぷりと浸れる演出も健在です。まずオープニングシーンではアオイさんと美紅ちゃんが僕達をウイングマンの世界にいざなってくれます。


プロローグ。アオイさんと美紅ちゃんの表情がカワイイ


全キャラクターの自己紹介

あおい:皆さんこんにちはウイングマンの世界へようこそ💛
ねぇねぇケンぼう聞いてよ!ポドリムスからこの三次元に送られてきたやつがいるんだって。ねえケンぼう、そいつはきっとリメルが私たちを殺すために送ってきた殺し屋に違いないわ。ねえケンぼう、どうしよう。

みく:ねえあおいさん、私思うんだけど……こっちから先にそいつを探し出してやっつけちゃえばいいんじゃないかしら? よーし、そうと決まれば……。

こんな風にアオイさんに頼まれて断れる男の子はいませんよね!さらに全キャラクターの自己紹介があるので、いやがうえにも雰囲気は盛り上がります。
連載は前年85年9月に終わってるので「あれ?ドクター・ヴィムもいるのかな。」と思ったりしましたが、ここら辺はファンサービスとして上手くシナリオに組み込んでいました。

この水着のシーンは広告に多用されてました。


週刊少年ジャンプ1985年9月9日39号が最終回。連載は人気順に北斗の拳・キン肉マン・キャプテン翼・魁!!男塾・DRAGON BALL・オレンジロード・CITY HUNTER ・こち亀・奇面組・BLACK KNIGHT・とんちんかん・銀牙・シェイプアップ乱。
ウイングマンが最下位とか狂ってます。

この導入部分はゲームブックを連想させますね。キャラクターゲームのキモは没入感であると思うのですが、ここまで徹底された演出は今までのゲームにはなかったものでした。
また複数の美少女が活躍する作品はアニメ・漫画・ゲームを問わず鉄板となるのですが、当時ではまだ珍しかったです。原作のウイングマンはその先駆者とも言える存在でしたが、ゲームでもその魅力を存分に発揮しています。


女の子は必ず1枚絵のCGが用意されています。


同伴するアオイさんと美紅ちゃんも専用絵が。


リロちゃんはずっとロリちゃんだと思ってました😂

また前作でも女の子との会話を楽しむことがゲームの醍醐味でしたが、今作ではテキスト量がさらに増えてより「らしい」セリフを聞くことが出来ますよ。桃子ちゃんに

「キャイン💛私”森本桃子”で~す。リーダーと美紅ちゃんの仲が良いのでちょっぴりさみしいけど桃子、ガッツで頑張っちゃいま~す。みんな、応援してね💛」

なんて言われたら舞い上がっちゃいますよ。


人気で出番が多かった桃子ちゃん。

ストーリーは基本的にアオイさんと美紅ちゃんと健太の三人で学校内を探索することになります。常に二人の掛け合いでメッセージが流れるので、単純な説明テキストが存在しないのが秀逸でした。ちょっとHな会話も健在で必ずみんな試していたと思います。


小窓の女の子の表情が変わるのも嬉しい演出でした。
まるでキャラクターが語り掛けて来るようです。

やる・桃子
桃子「ちょっとリーダーやめてください!」
アオイ「ちょっとケン坊!美紅ちゃんの前でそんな事するなんていい度胸してるじゃないの!」

する・キス
桃子「リ、リーダー・・・・・」
美紅「広野くんなんて、広野くんなんて・・・・・」


テキストは桃子ちゃんが一番ハマっていました。

というか「キス・やる」というコマンドが全キャラに対応しているのですから試さないほうがモグリといえます。ちなみに松岡先生は

やる・松岡
松岡「広野くん💛私とでもいいの?」

と大人の対応をしてくれますが、僕は「むしろお願いします💛」と興奮していました。音無響子さん命とか言ってたのにどうしようもない奴ですね、美人な年上なら誰でもいいんでしょうか。まあアホすぎる中学生だったので許してください。


松岡先生はコメディリリーフとしていいキャラだったんですが、後半ハードな展開になったので出番が少なかったのが残念。

他にも久美子ちゃんに新聞部の部長について聞くと

久美子「あのねぇ『桂正和』っていう人なのよ!」

布沢さんは今作ではちゃんとメガネをかけてます。

リロちゃんの弾いてる楽譜見ると

「あっそれは『すぎやまこういち』先生が作った曲ですのね💛」


リロちゃんは原作以上に毒舌。
福本さんみたいにぶさいくな方と一緒に出さないで欲しかったですワ。

こんなちょっとした小ネタも楽しめます。さらに視聴覚室でビデオテープを再生するとアオイさんと桃子ちゃんのバニーガール姿が!美紅ちゃんじゃなくて桃子ちゃんを選ぶあたりが「わかって」ますよね。ファンサービス満点のキャラゲーの鏡です。


まだ当時のアドベンチャーゲームは「〇〇ヲミツケタ」「デキマセン」というような、そっけないテキストが大半でした。この欠点は『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』で相棒が回答するという方式で解消され、名作スナッチャーなどにも踏襲されていますが、ウイングマンはそれを大幅に発展させた形でした。
また前半はアオイさん、後半は美紅ちゃんがサポート役になるのですが、これも雰囲気ががらりと変わるので上手い演出だと思います。


移動はマルチウインドウ方式に。


前半後半でサポート役が変更


中間デモではくるみちゃんが登場。女の子を全員登場させようとする執念を感じます。

前半は学園物のラブコメ要素満載ですが、後半は原作ウイングマン終盤を彷彿とさせるハードな展開に移っていきます。題名の通りキータクラーが最終ボスで原作の第一部に近いストーリーですが、エンディングは第二部との折衷的な結末になっています。この点も違和感がなくファンも納得の結末でした。
この後ネタバレなので注意!


別れを告げるアオイさん。原作を読んでいたので想像はしていましたが…


原作のラストシーンの再現。アオイさんの髪の色が黒から変更されてます。


最終シーンのアオイさんのセリフはゲームオリジナル。ファンなら必見です。


❸強力すぎる助っ人達・ジャンプ編集部とすぎやま先生他

何故キャラゲーに駄作が多いのでしょうか。ファミコン、パソコンに限らずキャラゲーが危険な地雷であることはゲーマーの常識でした。これは今考えるとゲーム開発側は版権だけを許可されて、深く原作を知らないままゲームを作成していた弊害なのだと思います。
一方パソコン版ウイングマンは少年ジャンプ誌上で集英社とエニックスが共同でAVGのシナリオコンテストを企画したことが発端でした。そのためジャンプ編集部から大量の資料の提供があったようです。半面、名物編集者の鳥嶋和彦氏がダメだしをしたというように、ジャンプ側も作品の品質を厳しくチェックをしていたことが伺えます。


東映はPCソフトの自社ブランドFILCOMを持っていました。これを巨大企業CSKが開発。しかし実態は更に孫請けの開発会社に委託していたようです。
凄いラインナップですが残念ながらヒット作品は出現しませんでした。


バンダイも一時期版権物を大量に発売。PCゲーム向けの題材も多かった筈ですが、皮肉にも一番ヒットしたのはハドソンが開発したオリジナルAVGサザンクロスでした。

エニックス側も曽根康征氏(『天地創造』『ガイア幻想紀』『アクトレイザー』等のプロデューサー)が徹底的にサポートしたことが誌面から伝わってきます。当時のエニックスは自社で開発チームを持たず、いわばプロデューサー業に専念していた会社でした。


Beep 1986年4月号ウイングマン2発売前のTAM・TAMインタビュー。


製品版では削除されてしまった「時間モード」の記述が。これはプレイする時間によってアオイさん達が反応してくれるというもの。このシステムも現在多くのキャラゲーに取り入れられていますね。


金尾淳氏と竹内守氏のほかにマネージャーとして曽根康征氏も参加。
当時十代だったTAM・TAMのメンバーにとっては心強いサポートだったと思います。

ウイングマン1でCGの制作が難航した際、ザースのグラフィッカーである中沢数宣氏氏が協力することになったエピソードは前回紹介しました。ウイングマン2でも同じエニックスで発売された『セイバー』で活躍されていたグラフィッカーである寺田伸幸氏が担当しています。『セイバー』の制作完了が見えた際にTAMTAMからグラフィックのお誘いがありウイングマン2に合流したとのこと。これらもきっと曽根氏の尽力の賜物でしょう。
実はこの時寺田伸幸氏は高校二年生だったんですよ!ウイングマン2のあの素晴しいCGが17歳によって創られていたなんて凄すぎますよね。

情報のソースはレトロゲーム専門店BEEPさんのHPから。
たまに買ってるので転載許してください😅
「BEEPと『ウイングマン2 キータクラーの復活』が歩んだ8年間」より抜粋
IO1985年12月号のエニックス通信。高校2年生の三人組のマスカットというパソコングループが『セイバー』を制作。寺田伸幸氏の姿が見えます。


85年の10月発売のセイバー。元祖振り向き美少女のオフェーリア姫は多くのPC少年を虜に。しかし彼女はPC9801専用のお姫様なのでした。どこかしらウイングマン2 のアオイさんの面影が…


合流した寺田伸幸氏の姿が。鳥嶋和彦氏がダメだしした記述も。


チャレンジ!! パソコンAVG&RPGIIに掲載された原画。


これを見るとCGの凄さがよく解ります。

もう一つの特徴は音楽面で、作曲家のすぎやまこういち先生が初めてゲームでの作曲を手がけたゲームでした。
エニックスから発売された『森田将棋』を先生がプレイし、アンケートハガキに「音楽が入っていないので何とかしたら」などと書いて送ったところ、担当者の目に留まったことが切っ掛けだったとか。 本作の数日後には『ドラゴンクエスト1』の作曲を始めていたということです。


すぎやまこういち先生が自ら企画・監修したゲーム音楽作品集
シンセサイザーのアレンジ版


ウイングマンも収録されています。


ライナーノーツにはドラクエ以外にも多くの音楽を創ってきたと述べられています。恐らく先生にとっても思い出の曲だったのでは。


貴重な作品背景。ソルバルウさん情報提供感謝です!🙇
僕が持ってるのはアポロンのテープ版。だって安かったんだもの😅

珠玉の名曲です。

ウイングマンの制作は高校生のアマチュアから発展した実力派マイコンサークルのTAM・TAMというグループでした。このような恵まれた環境で彼らの若さと技術が存分に発揮され「キャラゲーの名作」は創られていったのです。
これらを総括するとウイングマン2は現在のメディアミックス作品の走りとも言える気がします。それまでのキャラゲーは原作の魅力をゲームで十分に生かすことが出来ませんでした。それぞれの制作現場の連携不足が主因でしたが、それを上手くプロデュースしたエニックスのセンスは流石だと改めて感じました。
それは今作の数か月後に発売された、超一流のクリエイターが集結した奇跡的作品ドラゴンクエストへの序章だったのではないでしょうか。

❹ウイングマン2資料集


ログイン1986年1月号。
最初期の広告。まだパッケージが決まっていないので美紅ちゃんが表紙です。


IO1986年2月号
OP画像とパッケージが完成。やっぱりこのゲームの主人公はアオイさんですよね。
マイコンBASIC1986年3月号。 CGがほぼ出そろった感じ。まだ「時間モード」の記述が残っています。
IO1986年5月号。発売後の広告で「時間モード」の記述が削除されてます。


テクノポリス1986年4月号 やはりメディアミックス作品の走りとも言えるブラスティーとの特集記事。


マイコンBASIC1986年6月号ベーマガの特集記事。山下章さんが解説
チャレンジ!! パソコンAVG&RPGⅠにも掲載されたので読んだ人も多いのでは。


テクノポリス1987年2月号 ウイングマン2は別格の美少女ゲームだったので1年後も雑誌に登場しています。


テクノポリスは桃子ちゃん推し。多分LOLI山田さんじゃないかなあ😁


ファミコン通信 創刊2号 1986年7月4日号 FCユーザーにとっても憧れのタイトル。

❺MSX版ウイングマン2


当然MSXの移植が熱望されました。約一年後の1987年4月に発売されることになるのですが、残念ながら前作ほど話題にはなりませんでした。理由としてはパソコンゲームに美少女ゲームが多数発売されるようになったことと、ゲームの主流がMSX2に移行し始めたことにあると思います。
同時期の1986年12月に発売された軽井沢誘拐案内はCGが売りのゲームではなかったので、MSX1でも違和感がなかった良移植でした。しかし美しいCGがセールスポイントのウイングマン2は厳しかったです。メガロムで出すにはMSX2では容量が足らなかったのでしょうが、これは残念でした。それでも現在ではMSXに移植してくれただけでも感謝しています。1は移植されたのに2は移植されなかったパピコン君はお怒りでしたね😅


87年4月28日発売の文字。実は先行してMSX版ドラゴンクエストが発売していました。


ほぼ同時期にメガロムMSX2でめぞん一刻が発売。
美少女ファンはコチラに流れていきました。

媒体がテープからメガロムに変更され、操作性も大幅に向上。また戦闘シーンはスプライト搭載の強みでMSX版が一番良かったと思います。また、すぎやまこういち先生のBGMはPSG三音のMSX版が一番ドラゴンクエストをイメージさせる出来に。特にコーヒブレイクの曲は雪のロンダルキア台地を彷彿とさせますよ!



MSX1としては屈指のCGなんですが・・・


場面数も容量のせいか減っています。


女の子のCGはすべて揃っています。

PC88版から1年が経過していたこともあり、攻略法がかなり出回っていたのでクリアは簡単でした。
最短ルートだと30分かからないので、借りたその日にクリアしてすぐに返してしまった記憶があります。ウイングマンの醍醐味は攻略ではなく女の子との会話だなんて言っておいて、ゲーマーとして最低ですね😅
この時期はMSXのゲーム最盛期だったのでプレイしなければならないゲームが多すぎたのでした。そんなわけで現在手元にはないのですが、いつかMSX版をじっくりと楽しみたいと思っています。


MSXFAN1987年6月号


サイボーグMSXのおすすめマークほい!
グラフィック  ★★★
ゲームシステム ★★★
操作性     ★★★★
BGM      ★★★★★
プレミア度   ★★★★

一言😭価格が高騰して手が出ません。復刻してくれないかなあ。

❻最後に・・・

「ウイングマン2 キータクラーの復活」は版権物&美少女アドベンチャーゲームの一つの完成形とも言える名作だと思います。実際PC-8801だけではなくPC-9801、X1、FM-7と多くの機種にすぐに移植されました。当時を知る人ならプレイはしていなくても、ウイングマン2の美しい画面を何かしらで見たことがあると思います。
レトロPCゲーム専門店のBEEPさんでは動作チェックに『ウイングマン2』を使い続けているそうですね。

 1986年はドラゴンクエストが発売された年で本格的にファミコンフィーバーが高まった時期でした。パソコンのお家芸であるRPGがファミコンで手軽に遊ばれるようになりましたが、PCの美しいCGの優位性を最大限に引き出したウイングマン2はファミコンユーザーの憧れでもあったのです。この流れはPCエンジンなどの高画質家庭用ゲーム機発売の呼び水になったと思います。
 
 現在でもディスプレイに輝く美少女たちは多くのゲーマーの心を捉えて離しません。その原点がどのように生まれ、プレイされたのかを皆さんにお伝えしたかったのでした。


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