テグザー創作秘話・天才たちの梁山泊ゲームアーツ
1983年のMSX1発表時、ソフト開発で地獄を見ていた若き天才達はその後どうなったのでしょうか。1985年彼らはタコ部屋におりました(冗談)
今回はパソコンゲーム全盛期に彗星の如く現れたゲーム職人集団、ゲームアーツの軌跡とテグザーの魅力を追いたいと思います。
❶若きプログラマー集団、ゲームアーツ
物語はアスキーでゲーム制作をしていた若人たちが、己の腕を試そうと独立を決意するところから始まりました。
平均年齢21歳の集まったメンバーは一騎当千のつわもの揃い。宮路洋一・武氏・上坂哲氏・五代響氏といったメンバーが、高校時代に200本のゲームを商品化したなど伝説だらけの内容です。
彼らは第一期マイコン秋葉原少年と評されています。それは全国のパソコン少年の目指す頂きだったのではないでしょうか。
まだゲーム制作というものが職業として認知されていない時代です。最初はたった5畳の部屋から始まりました。スタッフは10人だったので足の踏み場もない状態、トイレも争奪戦になっていたとか。この記事の写真は2番目の事務所だそうですが、それでも押入れが仮眠室など過酷な現場の状態が伺えます。
しかし記事に登場する若者には未来への希望に満ち溢れています。メンバーの屈託のない笑顔こそがゲームアーツが名作を世に送り出した原動力でした。
「凄いゲームを作りたい!」
その情熱から生み出したされた結晶が、テクザー・シルフィードなどの伝説のゲームだったのです。
彼らの輝きがパソコンゲーム黄金期の扉を開こうとした・・そんな予感を感じさせる記事ではないでしょうか。
❷五代響(池田公平)さんインタビュー
テクノポリス1985年10月号ではテグザー制作の中心を担った五代響(池田公平)さんのインタビュー記事が掲載されています。
既に中学生でパーツ屋さんでアルバイトをし、そこで無線機の調整とか部品を売ったりしていたとのこと。そこにインテルのCPU 8080のNEC製のものが入荷され、それを使用して自分でパソコンを作ったのが最初だと述べています。これはワンボード・マイコンの前の時代のもので、まさに生粋のパソコン少年だったのですね。
高1になってからはPC-8001を購入し、これまたバイトで顧客管理や在庫管理のソフトを作っていたというから驚きです。
五代響さんはテグザーを「2カ月で開発した普通のソフト」と述べています。これは「開発環境が整えばもっといいものが創れる」という自信の裏返しであると感じました。
五代響さんに限らず黎明期のパソコンゲームの開発者の方々はみな伝説のエピソードを「それが当たり前だった」と述懐しています。
いかに彼らが「神に選ばれし者」であったかを伺わせるお話だと思います。
テグザーはパソコンゲーム界の絶対王者だったハイドライドを首位の座から奪取したことが印象的でした。
それはファミコンの出現とRPGの台頭で、アクションのPCゲームに陰りが見えてきた頃だったように思います。技術力とゲームとしての面白さを兼ね備えたテグザーは「ゲームアーツここにあり」を高らかに宣言したのでした。少数精鋭のゲームメーカーとして、80-90年代を席巻したゲームアーツの伝説はここから始まったのです。
テグザーによってPC-8801mkIISRの売り上げは向上し、PC88がホビー機としての地位を確立する一因ともなったそうです。MSXにとってコナミがそうだったように、ソフトメーカーがハードをけん引していた輝かしい時代であったと改めて感じました。
❸ファミコンに勝利したMSX版テグザー
テグザーの素晴らしさについては散々語られていると思うので僕はMSX版について。
テグザーは元々PC-8801mkIISRの発売に合わせて制作されたそうです。パソコン少年たちは八方向に高速スクロールする美しい画面とBGM、戦略的ゲーム性に圧倒されました。僕もオリジナル版をプレイしましたが、1985年6月の段階ではアーケードゲームも含めても屈指の面白さを誇っていたと思います。名作アクションシューティングゲームとして評価は高まり、雑誌でも盛んに特集されていました。
その後次々と8bitホビー機に移植されましたが、MSX版については全く音沙汰がありません。PC88の人気ゲームが移植されない悲しさをMSXユーザーは嫌というほど味わっていたのです。そうこうしているうちに85年末にファミリーコンピュータ版がスクウェアから先行して発売されるという情報が流れてきました。
「😫うわああ、またこのパターンかよ!」
この悲劇はゼビウス、ドルアーガの塔で繰り返されていたのでした。ところが友人のFM7君とX1君と共にデパートでファミコン版をプレイしてみると
「😑おい、なんか違わねえか」
「😒レーザーがないテグザーなんてテグザーじゃねえよ。」
今考えてみるとゲームとしては面白いと思うのですが、売りであったレーザー攻撃が再現できずに爽快感が無くなってしまったのは痛かったと思います。
そしてついに翌1986年7月にMSX版が登場!しかし悪友2名は不吉な予告をするのでした。
「😁😜どうせファミコン以下の劣化移植だろ。」
しかし結果はオリジナルと遜色ない完成度。後にコンパイルが移植を担当していることを知ったのですが、スクウェアでなかったことをMSXの神様に感謝するのでした。
サイボーグMSXのおすすめマークほい!
グラフィック ★★★★
ゲームシステム ★★★★★
操作性 ★★★★★
BGM ★★★★
黄金度 ★★★★★
一言😉MSXへの移植はコンパイルの石丸忠さんが担当とのこと。
まつおかさん情報感謝です🙇♂️
❹フルスクラッチテクザー登場!
テクザーの魅力の一つはオリジナルの変形可能なロボデザイン。それをフルスクラッチでモデル化した特集記事です。現在ではテグザーの組立てキットも発売されていますが、当時は猛烈に憧れました。
ゲームアーツの社員の方が作製したそうですが、主人公機だけでなく敵までしっかり作っているのがこだわりです。
宮地社長は「パソコンのゲームで文化を築いてみたい。」と述べていて、ホビー関係の各専門家を社員に集めたそうです。ゲームアーツが単なる技術者集団ではなく、最高のゲームを届けてくれた源はここにあったのかもしれませんね。