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ソ連MSX物語⑪MSX魂は国境を越えて・リトアニアの国士
皆さんは思わぬところで自作ソフトが使われていることを体験したことがありませんか?今回はネットもない時代に自作ソフトをバクーからリトアニアまで3000キロも旅をして届けたお話です。
父の会社は1967年からソ連政府と冷蔵庫のコンプレッサー工場の建設の契約していましたが
アゼルバイジャン・バクー(スムガイット)
リトアニア・マジェイケイ
ウクライナ・ハルキウ
ロシア・クラスノヤルスク&エカテリンブルク
この5か所で、父が現地に長期滞在して工場の立ち上げから関わったのはアゼルバイジャン・バクー工場でした。東京勤務でも継続してバクー工場の担当だったのですが、ある日珍しくリトアニア・マジェイケイ工場の技師長から国際電話がかかってきたのでした。
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ソ連候補地の中で最適地と考えられていました。
「同志、アゼルバイジャンの連中ばかり贔屓するとはどういうことだ。」
「そんなつもりは…わが社はどの工場も公平に対応しているぞ。」
「では何故連中にだけMSXを渡したんだ?」
困惑しながら父は答えます。
「何処からその話を?」
「へへっ、蛇の道は蛇ってね。」
「あれはあくまで私が個人的に贈与したものだ。」
「じゃあ俺っちにもその『贈与』とやらをしてくれや。」
父はずいぶん下品な奴だなと思いながら
「解った。リトアニア担当に頼んでMSXを送ってもらう。だがMSXの事例は契約のうちに入っていないし我が社にもノウハウがない。運用は自力でやってもらうことになるぞ。」
「心配ご無用、Хороших выходных! よい週末を!」
ふざけた奴だ…父は
「どうせ横流しして小遣いにでもするつもりなんだろう。」
と軽く考えていたのですが、事態は思わぬ方向へ進んでいくのでした。
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ソ連とのやり取りは全て盗聴されていたので価格交渉には暗号が使用されました。
当然郵便も全て検閲の対象だったそうです。
父が1985年にアゼルバイジャンの友人にMSXを個人贈与した時はまだ規制が厳しく、ヤマハのMSXを音楽機材に偽装して持ち込んだりとかなり苦労しました。しかし今回は2年後の1987年末のことで、ゴルバチョフのペレストロイカ政策がかなり浸透してきた時期になります。そのおかげで通常の備品輸送の中にMSXを紛れ込ませても問題はありませんでした。
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当時家電店で人気だったコストパフォーマンス抜群のマシン。
今回リトアニアの担当だった方にもお話を聞いたのですが。
「MSXを送ったことは間違いないが機種までは覚えていないね。確か近くの家電店で数台買って「計算機」名義で申請したらすんなり通ったよ。」
とのことです。これは僕の想像ですが当時FDD搭載で人気だったパナソニックFS-A1Fだったかもしれません。
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リトアニアの技師長キャラは完全に僕の創作です 😁
翌1988年、アゼルバイジャン・バクーで何も知らない父の相棒はとんでもない電話を受け取っていました。
「ん、私だ ゲンナデだ!」
「へっへっへっ技師長さんよ、はじめてお耳にかかるなぁ。おっと切ると後悔するぜ。なにせMSXのネタなんだからよ。」
ゲンナデは困惑しながら
「リトアニア・マジェイケイ工場の技師長だな?いったい何の用だ。」
「まあ焦るな。そこにある月例報告書を見れば解るかもよ。」
「随分生産台数が下がっているようだな。」
「そうよ、品質管理用のPC8801が壊れちまったんだ。日本側に修理を要請してるんだが数カ月かかるらしい。途方に暮れていたら、アンタらがMSXを使用してるって言うじゃないの。」
「それでノウハウを聞きに来たって寸法か。」
「話が早いな。あんたがたはやり過ぎたんだ。バクー工場の生産台数が急拡大してるのはMSXを運用してるからだと噂になってるぜ。」
「解った。そういうことなら私自らが出る! 」
ゲンナデの部下であるグセイノフは心配そうに尋ねます。
「私も同行しましょうか?」
「いや、お前はバクー工場の指揮を私に変わって取ってくれ。お前の作ったMSXの品質管理ソフトは私が必ず届ける。」
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バクーからリトアニアまで約3000キロ、ソ連では国内旅行も自由には出来ませんでした。そんな中でユダヤ人であるゲンナデには一つの思いが交錯していました。
ゲンナデの両親はポーランド系ユダヤ人で、ナチスの迫害を逃れてアゼルバイジャンに流れ着いた辛酸の過去を持っていました。同様にポーランドと隣接するリトアニアには多くのユダヤ人の同胞が逃れ、そこで非業の死を遂げたことを伝え聞いていたのです。
日本でも「命のビザ」 として有名な杉原千畝氏が、リトアニア日本総領事館時代にユダヤ人を助けたのはこの頃の話です。
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「同志、よく来てくれたな。」
「早速作業に取り掛かろう。これが品質管理プログラムだ。」
「これはアンタらが自分で制作したのか?」
「いや、日本の友人が協力してくれたからだ。」
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東西交易の中継地として発展した街で欧州の華やかな雰囲気が色濃い。
リトアニアはソ連の構成国の中で最も欧州に近く、工場のスタッフも優秀だったと言います。引継ぎはスムーズに行われました。
リトアニアとアゼルバイジャンは共にソ連に蹂躙された歴史を持っています。いつしかお互いの技師長の間には奇妙な友情が芽生えてきたのでした。別れの日、酒を酌み交わしながら二人は腹を割って話す間柄になっていました。
「アンタにだけ言うけどな、俺たちリトアニアは独立を狙っている。もうロシア野郎の奴隷になるのはまっぴらだ。」
「だから工場を整備して生産台数を拡大したいわけだな。」
リトアニアの技師長は驚いた顔で
「解っていたのか?」
「モスクワのソ連政府に依頼せず、アゼルバイジャンの我々に直接コンタクトしてきたから妙だと思っていたのさ。」
彼は肩をすくめながら
「流石にお見通しだな。だから検閲や盗聴の危険のある電話や郵送を避けてアンタが直接乗り込んできたというわけか。」
「このMSXのプログラムは我々の血と汗の結晶だ。クレムリンの連中に嗅ぎつかれて没収されると厄介なことになる。。」
「Большое спасибо! ありがとうよ。アンタの努力は無駄にしない。我々はどんな血を流そうとも独立を果たして見せるぜ。」
ゲンナデはリトアニアの伝統的な蜂蜜酒ミードをあおると静かに語りました。
「心配するな、ソ連はもう長くない。私は一昨年MSXを生んだ日本に赴いた時それを確信した。あの国には我々が失った全てがある。」
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ゲンナデ氏の話では「もしかしたら彼はリトアニアの独立運動家だったのかもしれない。」とのこと。
そして二人の技師長は固い握手を交わすのでした。帰途に就く飛行機の中でゲンナデはぽつりと呟きました。
「祖国のために汗を流す、素晴らしいことだな。」
この一件でゲンナデは自分にとっての真の祖国であるイスラエルへの亡命を決意したと言います。
一方でリトアニアはこの一年半後の1989年8月23日に600kmにわたる人間の鎖・バルトの道で独立を訴えます。1991年血の日曜日事件の悲劇を経ながらもリトアニアはソ連構成国の中でいち早く独立を宣言、その悲願を果たすのでした。
1988年Atmostas Baltija 「バルトの目覚め」
リトアニア・ラトビア・エストニア・バルト三国万歳!と連呼する独立を鼓舞する熱すぎる曲。映像では人間の鎖・バルトの道の生々しい映像が収録されています。
現在リトアニアはIT分野の先進国として世界に注目されています。その礎に僅かでもMSXが貢献したとすれば、MSXユーザーとしてこんな嬉しいことはありません。父もその一助になれたことを誇りに思うと語るのでした。
タイトルは父が見学したソ連宇宙博覧会の絵葉書です。
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