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ソ連MSX物語⑮完結編・冷戦を生きた技術者たちへ
本篇 友よ、私の技術者魂は届いたのか?
父がソ連のMSXの仲間達と別れてから四半世紀が過ぎようとしていました。ソ連は歴史上の存在となり、人々の記憶からも忘れ去られていた頃です。一方日本ではバブルが崩壊。父の会社はそのあおりを喰って外資系企業に買収され、リストラの憂き目にあっていました。
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中央がレーニン廟、左端が非対称の美で有名な聖バシリー寺院。
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当時はソ連の全盛期、世界有数の大都市として共産圏からの旅行者で賑わっていた。
56歳からの再就職は困難を極めました。父の特技であるロシア語は全く相手にされず、面接では年齢を理由に門前払い。ついには池袋の職安であんパンを齧るまで落ちぶれていたのです。
そんな中で父が思い出すのは、ソ連共産主義体制の中で悪戦苦闘して父を支えてくれたMSXの仲間達の姿でした。
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防空壕としての役割も担うため、地下深く建設されました。
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紀元前から続く歴史的な都市でトルコ系の民族です。
「こんなことでへこたれていては彼らに笑われてしまうな。」
父は一念発起しフリーの国際検査技師として世界を流浪することを決意します。父のポリシーは「現場で汗をかき信頼を掴む」。2000年代アジアの工業界が凄まじい発展を遂げていくなか、その現場に飛び込むことに一縷の望みをかけたのでした。
多忙な日々が続くある日、秋風の吹くニューヨーク・マンハッタンに父の姿がありました。
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「ここは本当に人種のるつぼだな・・・」
ブルックリン橋には世界中の観光客が集まってきます。そのフードコートで様々な人種と言語が飛び交う中、父の耳に思わぬ言葉が飛び込んできました。
「Давай, давай, сюда! こっちだよ! 」
それは25年ぶりに聞くロシア語、思わず父はその一団に声を掛けます。
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ソ連で1年間のイベントを全て体験できたことはその後の大きな糧となりました。
「君たちは・・・ロシア人なのか?」
「いや、イスラエルからの観光客だ。」
「???」
「俺たちは旧ソ連からの移住組なのさ。」
父の心臓が早鐘を打ちます。唯一無二の親友だったMSXユーザー・ゲンナデ氏はユダヤ人で、ソ連末期の1991年1月に亡命し消息不明になっていたのでした。
「それならば私の友人のことを知らないか?丁度あなた達と同じような境遇なのだ。」
父は自分が旧ソ連アゼルバイジャンに長年滞在していた経緯を語りました。
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「彼はモスクワから東ヨーロッパ経由でイスラエルへ陸路で移住する計画を建てていた。年老いた父母含め10人で脱出しているのだ。かき集めた逃走資金は私のカンパを含め、僅か800ドルしかないというのに。」
「恐らく大丈夫だ。我々も皆似たようなものだ。」
「!!!」
彼らは当時の状況を詳しく説明してくれました。
「当時ルーブルは紙切れだったから、少ない旅費で計画をたてざるをえなかったのさ。モスクワや東ヨーロッパの大都市を転々と一番安い鉄道を使い、要所要所でアルバイトをしながらの移動をする。大都市には必ずユダヤ人コミュニテイーが在って宿泊費はかからないからな。」
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話が盛り上がってくると10人ほどの脱出組のユダヤ人が集まってきました。彼らのリーダーがゲンナデの消息を知る者がいないか探してみたのですが、残念ながら見つかりません。
「すまんな、我々はロシアやウクライナからの脱出組なんだ。君の友人はアゼルバイジャンなのだろう?同じイスラエル人でもコミュニティが違うんだ。」
父はため息をつきます。
「そうか、元気でやってくれているといいんだが・・・」
「大丈夫だ、お前さんの友人は必ずうまくやってる。」
「何故そう言い切れる?」
「俺たちがここにいることがその証明なのさ。」
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左が弟子の天才プログラマー・グセイノフ。
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リーダー格の男は朗々と語り始めました。
「俺たちはヘブライ語も英語も喋れなかった。だからイスラエルでは一箇所に集まって支え合ってきたんだ。皆苦労したがソ連に帰りたいなんて言う奴は一人もいなかったさ。ようやく約20年で生活基盤が出来た処でソ連出身者で団体を組み、憧れのアメリカへやってきたって訳だ。」
確かに彼ら一団の顔は皆晴れやかでした。
「脱出組は皆ソ連での職を活かしていた。お前さんの友人はコンピュータ技術者なんだろ?それなら間違いなく引く手あまたさ。イスラエルは現在世界有数のIT先進国だからな。」
父はこみ上げてくる感情を抑えきれませんでした。
「そうかゲンナデ、君にMSXを贈って本当によかった。私の伝えた日本の技術が君の血肉となり、祖国の発展に繋がってくれたのだな・・・」
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そんな父をユダヤ人達が囲みました。
「ユダヤの恩人は我々の友人だ。ちょうどブルックリンに美味いロシア料理の店があるんだ。アンタもいける口なんだろ?」
ニューヨークのド真ん中でイスラエル人と日本人がロシア語で談笑する奇妙な光景。しかし父の心はハドソン川上空の秋空のように澄み切っていました。
時は2014年、父が初めてソ連に訪れてから44年の歳月が過ぎようとしていました。
ソ連MSX物語・完 この物語を冷戦を生きた全ての技術者たちへ捧ぐ
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追記 技術者サムライとカウボーイ、ヒューストンでの邂逅
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今回のお話は2014年に父がヒューストンで宇宙関連の技術検査会社との提携のついでにニューヨークに寄った時の物です。
僕の実家は元々町工場で、日本初の人工衛星「おおすみ」や気象衛星「ひまわり」の部品製造に携わっていたこともあり、父としては特に思い入れのある仕事だったそうです。
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米国の検査会社の社長さんは大の宇宙マニアで、たちまち父と意気投合し、ジョンソン宇宙センターなどを案内してくれました。その道中に父が
「私は1985年に筑波で開催された科学万博の米国館でNASAの職員の青年にあったんだ。彼に『ヒューストンは素晴らしい街ですので是非いらして下さい』と言われたのが忘れられない。」
と言うと、社長さんは
「その青年を嘘つきにする訳にはいかないな。」
と父と母を豪華なパーティーに招待してくれたと言います。
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パーティー会場で父が
『科学万博・米国館のヒューストン出身の青年は最高のナイスガイで、ソ連館の連中は最低だった。』
とスピーチすると、やんやの喝采だったそうです。父は
「こういうのを『郷土愛』と言うのだろうな。」
と回想しています。
人種や国籍は違えど、志を共にする者同士は自然に惹かれあうのだと僕は思うのです。
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長い物語を最後までお付き合い頂き、父と共に心より感謝いたします。この物語は父の回想録の中でMSXに関する内容を中心に僕が物語にしたのですが、多くの方の取材協力を経てようやく完成しました。歴史に残らないながらも冷戦という時代の中で、日本の矜持を胸に戦っていた技術者たちがいたことを知って頂ければ幸いです。
もしご感想や質問があればコメント欄でお知らせください、父に伝えます。
読者の皆さん、本当にありがとうございました。
2024年9月20日 サイボーグMSX