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美少女ゲームのオリジン・PC版ウイングマンを大特集

 ディスプレイに光輝く美少女たち。パソコンCGの進化は彼女らによって支えられていたと言っても過言ではありません。その頂点は前回特集したうる星やつらのラムちゃんでしたが、ゲームとして先陣を切ったのはウイングマンだったと思います。今回は現在にも続く美少女ゲームのオリジン・ウイングマンの魅力に迫ります。


❶ウイングマンが生まれた時代・1984年のAVG


 時は1984年、まだパソコンゲームは黎明期でした。当時TVゲームといえばアクションゲームが当たり前で、1枚絵が表示されるゲーム自体が珍しかった頃です。コンピュータ・グラフィックス自体に貴重性があり、CMなどでパソコンのCGが流れるだけで興奮しました。
これは1984年放送の日立のパソコンS1のCMです。

 この頃からCGを多用するゲームとしてアドベンチャーゲームが注目され始めました。このジャンルはパソコン少年だけの特権でしたね。『ミステリーハウス』『スターアーサー伝説』『サラダの国のトマト姫』『ポートピア連続殺人事件』といった名作が次々と発売されましたが、どれもCGがあるだけで嬉しいという内容でした。
 その中でも1984年8月発売のザースは初めてアニメ絵を取り入れたゲームとして注目されていました。ただ美少女ミリカちゃんのCGが有名になりすぎていますが、あくまで硬派なSFAVGという作品です。
 ちょっと当時を振り返ってもらいたいので同時期のAVGをいくつか見欲しいと思います。


1983年5月『ウィザード&ザ・プリンセス』米国シエラオンラインの大ヒットAVG。 当時はこういうのがAVGだと思っていました。


1984年7月『創造神ギャリアンの復活 暗黒城』エニックスの大河AVG


1984年7月 PC88版『サラダの国のトマト姫』ハドソンの大ヒット作品


1984年7月 機動戦士ガンダムPART2 人気アニメのAVG化


セイラさんはこんな感じ


1984年8月『ザース 人工頭脳オリオンの奪還』専門家がCGを担当した革命的作品


ザースの象徴ミリカちゃん。女の子のCGはこの1枚だけです


1984年11月『超人ロック』ポニー得意の版権ゲーム

そんな折1984年11月にエニックスからウイングマンが発売されると仲間内で大騒ぎになりました。

😍「これ本当にパソコンの絵なのか?」
😲「まるでアニメじゃねえか!」

アオイさんの「ケンぼうどうするの」は本作を象徴するセリフですね。

 先に挙げたAVGとは次元の違っていたCGであることが解ってもらえると思います。またゲーム内容もコマンド入力方式にありがちの「単なることば探し」とは一線を画していました。当時のアドベンチャーゲームは対応していない単語に対して「デキマセン」「ワカリマセン」と、そっけないテキストが大半。それに対して

アオイ「最近ケン坊は冷たいわね。だって私のわからない事ばっかり言うんだもん!」

こう返してくれるのですから雰囲気が全然違います。
 実際にプレイしてみると女の子との会話に夢中になりました。メインキャラが全員登場していて「らしいセリフ」を返してくれます。さらに連れ添ってくれる相棒のアオイさんが色々反応してくれるので、つい無駄な行動を試したくなるんですよね。実際にウイングマンの世界で行動している気分になれる、キャラゲーのお手本のようなシステムでした。
 原作ファンならニヤリとする演出も多彩です。桃子ちゃんが健太の正体を知っていて、アオイさんが海を見たことが無いという設定なのでコミックス3巻と4巻の間の話ということが解ったりします。
 


桃子ちゃんもいい味出してました。


アニメ版ではメインキャラだった松岡先生


布沢さんはもっと活躍して欲しかった。元祖メガネっ子。

 

ヒロインである筈の美紅ちゃんはあまり喋らず影が薄いのが残念。でも原作もそうかも・・・ 僕はアオイさん派だったのですが、美紅ちゃん派のFM7君はこの扱いに怒っていました。


美紅ちゃんの名台詞「わたし、よくないことだとおもうの・・・」も再現


すねてるアオイさんがカワイイですね。


もうお約束のシーンです。右側の窓に各キャラクターが表示されるのも斬新でした。


いきなりキスしようとしてアオイさんに怒られた人も多いのでは?

 学校が舞台であちこち歩き回りながら手掛かりを集めドリムノートを見つけるという王道のシナリオ。しかし真の目的は女の子とのやりとりを楽しむことなんです。最短クリアでなく寄り道をしないとこのゲームの魅力は味わえませんよ。
 このゲーム内でのデート感覚というコンセプトは、後のときめきメモリアルや同級生などに繋がっていると思います。僕がウイングマンを美少女ゲームのオリジンと断言するのはこのような理由からなのでした。

PC6001版の出来は芸術です。

❷ウイングマン資料集


IO1985年5月号。健太、アオイ、美紅の掛け合いが楽しい。
PC6001版も発売されたのが衝撃でした。MSXでも出してよ!


IO1985年7月号。僕はFM7君のテープ版でプレイ。待ち時間も気にならなかったです。


ログイン1985年8月号。ハイドライドに次いでランキング2位。
当時は粗悪なキャラゲーAVGも多かったのですが、ウイングマンは人気作に。


ログイン1985年2月号の特集記事。ジャンプ連載の真っ最中ですね。
データ圧縮について述べているのがログインらしい。


当然チャレンジ!! パソコンアドベンチャーゲームでも取り上げられました。


マイアニメ1985年10月号。アニメ雑誌カラー2ページ特集は快挙と言っていいのでは。この後アニメとPCゲームは連動する歴史をたどるのですが、そのきっかけになったタイトルだと思います。AVGについての解説がありますね。

❸作者TAM・TAM 金尾淳氏インタビュー


テクノポリス86年6月号。ウイングマン2の発売後ですが内容は1の制作時の物。


前回のゲームアーツもそうでしたが、当時はこのような環境で制作されていました。


実はウイングマン2の候補に「きまぐれオレンジ☆ロード」も入っていたとか。
これもやって見たかったなあ。


制作現場を「たまり場」と述べています。
僕の知り合いのゲーム制作現場もそんな感じでした。

 ウイングマンの制作は高校生のマイコンサークルのTAM・TAMというグループ。卒業した記念に皆で「なにかやろう」ということで、コネのあったエニックスの曽根康征氏(『天地創造』『ガイア幻想紀』『アクトレイザー』等のプロデューサー)に相談したのが切っ掛けでした。ジャンプとエニックスのタイアップ企画の一つにウイングマンがあり、それを題材にAVGを製作することを提案されたのだそうです。
 まるでクラブ活動の延長のようですね!中心人物だった金尾淳氏は浪人中だったというのにも驚かされます。当時はこうした実力のあるアマチュアが伝説となったゲームを作成するケースがよくありました。 
 この記事で金尾淳氏は将来を「通信関係かレーザーの仕事をしたい」と述べています。しかしゲーム制作の魅力にはあがなえなかったようで、その後エルフの創設メンバーの道を選ぶことになりました。美少女ゲームの開祖とも言えるウイングマンの延長線上にエルフのゲームがあると思うと趣深いです。その後独立されグローランサーシリーズや新・世界樹の迷宮などの制作に関わられているそうです。


IO1985年7月号 エニックス通信。
ウイングマン制作のTAM・TAMとザースを作ったスタジオシャンドラのインタビュー。それぞれの平均年齢が18.5歳というヤングパワーが爆発。

 この記事ではお互いの制作チームがライバルだと書かれているのですが、実はウイングマンとザースには深い関係があります。TAM・TAMには専門の絵描きの人がいなかったのでCGの制作が難航していました。週刊少年ジャンプの名物編集者、鳥嶋和彦氏にダメだしされたとか・・・。そこでシャンドラのグラフィッカーである中沢数宣氏氏が協力することになったそうです。ザースのミリカちゃんにPC版のアオイさんの面影を感じるのはこのせいだったのですね。


中沢数宣氏は機動戦士ガンダム逆襲のシャアなどアニメの仕事で有名ですが、多くのイラストをゲーム雑誌に寄稿しています。これはダライアスのイラスト。


テクノポリス86年4月号。金尾淳氏とエニックスの曽根康征氏が登場。鳥嶋和彦さんのエピソードが掲載されています。

❹MSX版ウイングマン・果たして単色なのか?


 PC88の人気作がMSXには出ない!当時のMSXユーザーはこの悲哀を嫌というほど味わっていました。特にAVGはCG性能が劣るMSX1ではまともに移植できないのは明白。しかしライバル?のPC6001版が発売されるのだから、MSX版が出来ないはずはありません。ザースが素晴らしいCGで移植されると俄然その機運は高まってきました。
 そしてついに1年後の1985年10月にMSX版ウイングマンが発売決定!小躍りする僕に悪友X1君とFM7君が不気味な予告をするのでした。


MSXマガジン1985年11月号。10下旬発売の予告。
MSX版ザースは先行して発売されていました。

😁「ヒヒヒ、どうせデゼニランドみたいになるんじゃないの?」
😏「単色のアオイさんは見たくねえなあ。」


PC-8801版デゼニランド


MSX版デゼニランド。まあこれはこれで味があるんですが・・・ 


なんだかんだ言って持ってるんですけどね、MSX版デゼニランド。
ちなみに表紙がゲーム内容と全然関係ありません

 デゼニランドは当時の人気AVGでしたがMSX版は何と単色なのでした。これは仕方がない部分もあって現在は出してくれただけで感謝しているのですが、他機種ユーザーにバカにされる格好の標的だったのです。
 入手したMSX版ウイングマンは箱の裏にはちゃんとカラーCGが掲載されているのですが、疑り深い彼らは信用しません。

😁「ケケケ、箱裏の写真なんか一番信用できねえだろ。」
😏「開発中の画面ですってオチもあるしな。」

実際の所、起動するまで解らないのが当時のパソコンゲームの恐ろしい所。恐る恐るピーガー音のテープロードの末立ち上がった画面は…


ザースには及ばないが美しいタイトル画面。

😹「あああ、ちゃんとカラーだよ!やったあ。」

この瞬間の感動で全て元は取れたと思う小学6年生の僕でした。


右側の窓は省略されてます。


MSX版は松岡先生が一番可愛かったりします。


MSXマガジン1986年5月号の特集。だいぶ遅くなりましたが豪華3P


実はこの頃は既にウイングマン2-キータクラーの復活-が発売されてました。

サイボーグMSXのおすすめマークほい!

グラフィック  ★★★★
ゲームシステム ★★★★
操作性     ★★★   
BGM       ★★★
チェイング!度 ★★★★★

豆知識・MSX版のテープロードはかなり早いぞ!解像度が低いから容量が少ないからだけど。


随分起動してませんがいつか復活させたいです。

❺最後に‥‥


アオイさんは永遠の憧れです。


美紅ちゃんは損な役回りが多かったですが、それが物語を際立たせていました。

 僕はウイングマンの原作も大好きなので語りだすときりがないのでここはグッと我慢して😅
 今回のテーマは1984年という時代にパソコン版ウイングマンが登場した衝撃です。キャラゲーもギャルゲーもゲームの歴史において重要な役割を果たしてきました。特にギャルゲーの発展は日本独自の物で、欧米のゲームには見られなかった現象です。
 僕はこれをユーザーの嗜好の違いと思っていたのですが、1995年に米国のゲームマニアが秋葉原に遊びに来た時に
😁「バカ言うな。こっちにだってディスプレイの中の女の子しか愛せない奴はごまんといるぜ。あーあ早く同級生2がローカライズされねえかなあ。」
とボヤいているのを聞いて認識を改めました。


彼が愛してやまなかった同級生2。僕が見せたのはPC9801版でした。

彼を自宅に招待した時にウイングマンを見せた所
😍「おいおい、このゲームが1984年?イカレてる。マジで日本のゲームハンパねえな。」
と感激していたことを忘れることが出来ません。


ログイン1984年10月号。 ウイングマン発売と同時期の米国PCゲームランキング

 美少女ゲームは日本が誇る素晴らしい文化の一つです。その出発点であるウイングマンがどのように生まれたのかを皆さんにお伝えしたかったのでした。
 今回も気合が入りすぎてここまでになりましたが、より発展した『ウイングマン2 キータクラーの復活』についても何時かお話しできればと思います。


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