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MSX狂に捧げる詩

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MSXに関して過去の資料をネタに好き放題書かせて貰っています。 ゲーム・ハード・過去の歴史などMSXをより楽しんで頂ければ嬉しいです。
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MSX物語①わが青春のMSX・MSXFAN最終号

1995年MSX・FAN最終号が送られてきたのは暑い夏の日のことだった。 休刊予告がされていたためか、来るべき時が来たという比較的冷めた感覚で封を切ったような記憶がある。 内容は熱気と惜別とが凝縮された「MSX・FANという物語」を締めくくるに相応しいものだった。 一通り目を通し付録ディスクの中身を確認していると雨が降り始めた。 「しょうがねえな」 ロードワークの時間だが、もう少し時間をつぶさないといけない。僕は大好きなゆじさんの曲をかけることにした。 ディスクの

86-92年オタク文化の最前線・コンプティーク特集

プログラム小僧はベーマガ、ゲーム少年はログイン、美少女ファンはテクノポリスと言うパソコン雑誌界に突如出現したのが角川書店のコンプティークでした。 本屋さんで手に取ってみるとパソコン雑誌なのにプログラムどころかパソコン関係の記事すらない!しかし86-92年という新世代オタク文化にとって絶対外すことのできないコンプを大特集します。 ①最新オタク文化の発信基地 80年代前半までのオタク文化の中心はアニメと漫画が担っていたように思います。そこにデジタルゲームという新しいジャンルが

NECがPC88を捨てたからMSX2しかない?86年コナミ部長衝撃の告白

1987年と言えばPC8801を筆頭とする8bit御三家が全盛期を迎え、MSX陣営は86年末に廉価版MSX2アシュギーネA1が発売され猛追する体制に。一方ファミコンはドラゴンクエストIIの発売でファミコンブームに沸いていた頃です。 僕はこの頃各機種にやりたいゲームが発売され過ぎて、色々なマシンを持っている悪友FM7くんの家や、床屋でファミコンサービスしているナムコ君の家に髪も切らないのに入り浸っておりました。 しかしゲームメーカーは我が世の春を謳歌していたと思いきや、かなりの

MSX物語④グラディウス2をPV7で!カシオくんの執念

❶それでもカシオが好き! 1987年の夏、最終兵器SCCを引っ提げて救世主の如く現れたグラディウス2はMSXユーザーに熱狂的に迎えられていました。ところがカシオ君は不安げな表情。何しろ愛機のPV-7はMSX史上最低容量のメモリ8KBで、ROMカートリッジのゲームも16KB対応の物は動作不能だったのです。 😟カシオくん「PV7でも動くかな?」 😽僕「コナミは全部8KB対応だから大丈夫だよ。」 喜び勇んで購入したカシオ君が起動すると衝撃の光景ががが! とにかく動画を見て

プーチンに敢然と立ち向かったテトリス作者・パジトノフ

ロシアが2022年2月24日に突如として開始したウクライナへの軍事侵攻は悪夢ような光景でした。元KGBであるプーチンは徹底的な言論弾圧を断行、ロシア国内でこの蛮行を非難することは非常に危険な状態にあります。しかし祖国を離れてもなお、この不毛な戦争に異を唱える矜持を持ったロシア人も存在します。 今回は冷戦の壁を乗り越え西側のゲーム作家と友情を結んだテトリス作者、アレクセイ・パジトノフの祖国への想いを綴ります。 ❶テトリスの衝撃 グラディウスII -GOFERの野望-やパワー

Xという名の迷宮・彷徨えるWizardryの如く

数々のウィザードリィの迷宮を踏破してきた僕が最後に辿り着いたのがTwitterでした。 電脳世界の雄々しき冒険は幾年の時を経た今も続いています。 ダンジョンは二度として同じ顔を見せてくれません。その激流に時の流れを感じずにはいられないのです。 今回は漆黒と活字に溢れた冒険についてのお話です。 Xの冒険者は小さなアイコンと140文字の呪文だけを頼りに迷宮を探索します。 怪物たち?の携えた素晴らしい音楽・写真・絵・ゲームといった様々な宝物。 酒場で吟遊詩人の奏でる異国の冒険譚。

X投稿で2024年を振り返る・前半戦

あけましておめでとうございます、皆さん今年もよろしくお願いします。 僕は2024までTwitterを中心に情報発信していたのですが、突如アカウントを凍結されてしまいました。それ以降noteで投稿しているのですが、ちょっとしたネタは新しいTwitterアカウントで呟いています。今回はそれを纏めてみたので良かったら覗いてみて下さい。 目次別に分けましたので面白そうな奴だけ見て下さいね😁 ①サイボーグMSX復活! 雄々しき冒険の末、サイボーグMSXは邪悪な魔導士によって永久凍結

使いにくいけど愛おしい・MSX変態ジョイスティック特集②

前回は黎明期のジョイスティックとその進化を特集しました。正直使いにくい物も多かったのですが、それはアイディアと試行錯誤によって精錬されていった過程なのだと思います。 MSXは初期に多くのメーカーが参入したこともあり、各社が独自のジョイスティックを発売していました。その中でも特にイカレた奴を厳選してお届けします😁 ①MSX界最強の怪物ジョイハンドル デカァァァァァいッ説明不要!! 上に乗ってるMSX2・FS-A1mkIIの4倍ぐらい厚みがありますよ。これじゃプログラムできな

PCゲームの雄はどう生まれたか・ファルコム創業者加藤正幸氏

2024年の暮れ、日本ファルコム創業者の加藤正幸氏が逝去されました。ファルコムは僕のような8bitパソコン少年にとって特別なメーカーさんです。小さなパソコンショップに過ぎなかったファルコムの大躍進はパソコンゲーム黄金期の幕開けであったと思います。日本のPC文化の発展に多大な影響を与えた素晴らしきゲーム達。僕達の心に永遠に焼き付いている作品ばかりです。 今回は黎明期のファルコムと加藤氏の貴重なインタビューから、その栄光の軌跡を追いたいと思います。 ①黎明期のファルコム加藤正幸

ゲーム少年の相棒・変態ジョイスティック特集①

ゲーム創世記から現在まで長く使用されているデバイスの筆頭がジョイスティック。 パソコン黎明期は様々なものが発売されましたが正直使いにくいものも多かったりします。皆さんも操作が上手く行かなくて熱くなった経験ないですか?今回はあえてヘンテコな物ばかり集めてみました。 ①黎明期のPCジョイスティック パソコンのアクションゲームの操作はキーボードで行っていました。基本操作は「2」「4」「6」「8」「スペース」キー。しかし当たり前ですがキーボードはゲームには不向きの上、故障の原因に

コブラからの伝言・X68Kユーザー寺沢武一先生

あなたの描いた漢は何時だってカッコよかった。そしてあなた自身も……追悼・寺沢武一先生 何物にも捕らわれず自由に生きる宇宙海賊コブラ、その生き様に誰もが憧れました。先生はコンピュータグラフィックスを漫画に導入した先駆者であり、熱烈なゲームユーザーでもありました。 今回は皆さんと共に『それは まぎれもなく ヤツさ』の足跡を辿ってみたいと思います。 ①1982年の宇宙海賊僕が始めてコブラにあったのはTVアニメでした。1982年10月放送開始のスペースコブラは全国の小学生の心を鷲摑

MSX物語③パソコン少年のバイブル・こんにちはマイコン

誰しもが自分の人生を変えた一冊がありますよね。僕にとってはすがやみつる先生の『こんにちはマイコン』がその一冊でした。日本のパソコン黄金期の先駆けとなったPC少年のバイブルと、小学生から見た1982年のパソコン風景をまとめてみました。 ①まずインベーダーありき 1982年の小学生にとってパソコンとはどういう存在だったでしょうか。それにはまずインベーダーについて語らねばなりません。タイトーの大ヒット作スペースインベーダーは1978年に発売され、大きな社会現象になっていました。

YMOがくれたもの②PC88ユーザー高橋幸宏氏とゲーム

ゲーム音楽が影も形もなかった時代、電子音楽の伝道師であったY.M.O.イエロー・マジック・オーケストラ。 メンバーの一人である高橋幸宏氏は古くからのパソコンユーザーでもあり、ゲーム音楽も多数作曲されています。2023年に惜しくも天界に旅立たれた高橋氏の音楽世界を辿りたいと思います。 ①1986年のインタビュー 「パソコンをいじっている少年のあのエネルギーの中から、新しい音楽が生まれてくるような気がしますね」 まだPCに偏見のあった時代に高橋幸宏氏の言葉にどんなに勇気づけら

YMOがくれたもの①偉大なる教授よ永遠に~坂本龍一氏

ゲーム音楽が影も形もなかった時代、電子音楽の伝道師であったY.M.O.イエロー・マジック・オーケストラ。僕は直撃世代ではありませんでしたがパソコン少年として特別な思い入れがあります。 今回はその一人である坂本龍一教授の偉大な足跡を、回想を交えて紹介します。 ①Y.M.O.との出会い・マイクロコンピューターショウ84 ナイコン時代・・・MSXを入手する前の僕はパソコン放つ光に引き寄せられる蛾の如く、各種イベント会場を彷徨っていました。 そんな折1983年にMSX規格が発表。