うちの祖母は、なんにもいらない
おばあちゃんにプレゼントをあげたのは、
あれが最後だったと思う。
戦前・戦中・戦後、
そして、大正・昭和・平成・令和と
さっそうと生き抜いている彼女。
まもなく100歳。
小さい頃、両親に変わって
祖父母が親代わりだった。
毎日いっしょに生活していたから
当たり前だったが、
ばあちゃんはなにもいらない人だった。
お誕生日に、母と一緒に
彼女の好きだった黄色の洋服をあげた。
「あら~いいわね。ありがとう。」
しかし、2日後にはこうなる。
「これね、首のところがいまいちなの。
悪いけど交換してもらえる?
タグ、つけたまま着てみたから。」
こんなことは一度や二度ではない。
とにかく気に入らないもの、
彼女がそのとき必要のないものは
1ミリたりとも家には入れないのだ。
近所からおすそわけでいただくおかず。
「ちょっとまってて~」
といって、すぐに入っていたタッパーを返す。
衣替えの時期には、
「捨てるものはないか」と
家中をおおそうじ。
ときめくものだけ残すとか、
断捨離とか、
ミニマリストとか、
そんなもの彼女が聞いたら
「ふつうのことでしょ」
と言うにちがいない。
もののない時代を生きた彼女は、
必要なものを必要なだけもつ
そんなシンプルなことの、先駆けだった。
そんな彼女にあげたもの、
小学生のときの敬老の日。
小学校で「敬老会」があり、
そこで作文を読むことになった。
なにを書いたかもう忘れちゃったけど、
体育館に大入り満員だったおばあちゃんおじいちゃんたちから拍手喝采をあびた。(らしい)
「あの作文、とてもよかったよ~
ありがと~」
と、もう30年前のことを、
つい最近まで感謝されていた。
この作文しか、彼女にあげてない。
だって、
うちの祖母は、なんにもいらないんだから。
「元気にお迎えを待ちたい」と言って、
一人暮らしをやめ、
この間、施設に入った彼女。
もちろん、なんにももっていかない。
「じいちゃんはおるすばんなの」
祖父の遺影もおいてきてしまったようだ。
ほんとうになんにもいらない。
足るを知る、なんでもある。
そんな彼女にいつまでも元気でいてほしい。