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ひと匙の珈琲。#シロクマ文芸部#珈琲と
珈琲とあなたとわたし。
口に流れてくる珈琲の苦味に顔をキュッとしかめてから、味わうように緩んでいくあなたの表情がわたしをホッとさせた。
誤嚥の可能性もあるから、トロミをつけた珈琲をティースーンに1匙2匙まで。珈琲ゼリーなんて言うオシャレなものではなく、それは何よりもっと味気のないもの。それでも「飲んでいる」と言っては手を震わせて、わたしは感激しているのです。脳が傷ついてしまったあなたはまどろむと、またすぐに深く眠ってしまう日々。
1時間半かけて見舞いに通う病院での、あなたとわたしのある日の珈琲時間のことでした。
珈琲とあなたとわたし。
結婚したふたりが少し背伸びをして「こだわりたいね」と言って揃えたドリップセット。カリカリと豆を挽いては、小箱に溜まっていく香り。粗く挽いたゴールデンマンダリンを丁寧に扱いながら
「ダブルステンレスのドリッパーの細かいメッシュがコーヒーの粉をキャッチするから、粉っぽさはほとんど感じさせないんだ。紙フィルターだと濾し取られてしまうコーヒーの旨味と豆本来の味を楽しめるんだよ。」とあなたが得意げに微笑む。休日の朝、レースのカーテン越しに柔らかく揺れる陽の光、パジャマ姿のあなたとわたし、ゆっくりと大切に流れる綺麗な珈琲時間。あなたがドリッパーにお湯を注ぐのを背中から腕を回してのぞいているわたし。「上手く注げないよ」と困った顔をするあなたが最後のお湯を注ぎきると、キュッとわたしを抱きしめてくれました。それは何だかくすぐったい穏やかな朝、琥珀色した雫はゆっくりとサーバーに落ちてゆき、ふたりに訪れた静かな時間でした。
淹れたての珈琲とハムエッグ、こんがり焼けたトーストにバターを添えて。
珈琲の苦味が口の中に広がり、そしてゴールデンマンダリン特有の甘味とすっきりとした味わいに心も身体も包まれる。
珈琲とあなたとわたし。
大江戸線の青山一丁目の駅から都庁前へ都庁前から更に乗り換える。
あなたが入院しているフロアーに着くと、今日は車椅子に腰掛けて、看護師さんと一緒に窓越しに建ち並ぶ新宿の高層ビルの景色を眺めていたあなた。わたしが膝をついてあなたに「今日も来たよ」と挨拶すると、あなたのその瞳は焦点が合っておらず、ただ顔を空に向けてポーズをとっているだけのように見えました。看護師さんが「今日はリハビリで車いすに移動してみました、そろそろベッドに戻りましょうね」と声をかけてくれた。ベッドに戻るとあなたはまたまどろんですぐに深く眠ってしまいました。
「また来るね」と聴こえないあなたの耳に声をかけ、大きな病院を背に駅に向かう。手にはブラックの缶コーヒー、立ち止まって缶を開けてひと口含む。わたしはコーヒーの苦味に襲われ「いつまで、いつになったら。」と泣きたい気持ちを抑えコーヒーの缶をギュッと握った。「明日はあなたが好きなゴールデンマンダリンを挽いて、ポットに入れて見舞いに行こう。」
お願い、珈琲の苦味がまどろむあなたの意識を目覚まさせて。
わたしはもう一度缶コーヒーをひと口含む。コーヒーの苦味が身体いっぱいに広がりわたしを奮い立たせた。
珈琲とあなたとわたし。
どうかお願い「苦い過去だったね」とふたり笑える日が訪れますように。
最後までお読みいただきありがとうございました。
こちらの作品は、
小牧幸助 様 のサイト
シロクマ文芸部の今週のお題に参加させていただきました。
素敵な企画、素敵な出会いをありがとうございます。
タイトルは、
Sinh様 のお写真を使わせていただきました。
Sinh様 ありがとうございます。
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