深い傷はのこる
僕の膝には、小学校の時からの傷がある。
プールの後、教室まで走っていた時に、派手にコケてついたものだ。
当時、いろいろ処置をしたけれど、ケロイドになって残っている。
娘の質問 なんでこの傷がのこってるの?
先日風呂に入っている時、その傷をまじまじと眺めて、娘が言った。
「パパのこの傷はいつできたの?」
「20年前なのになんでのこってるの?」
なんでだろう。自分はこう答えた。
「深い傷はどうやってものこるんだよ」
それを言いながら、身体的な傷だけじゃなくて、精神的な傷もそうなんだとふと思った。
心の傷
心の傷は見えないけど、体に残る傷と同じだ。
ちゃんと処置しても残るものは残るし、それをふとした時に思い出す。
昔から運動ができなかった。なんでもへたっぴで、体育の時間心細かった。
面白いことが言えなくて、芸を披露するとき、いたたまれなかった。
勉強があまりできなくて、効率が悪い、とよく言われた。
くせ毛が強烈で、バカにされた。梅雨は人に見られたくなかった。
あげればきりがない。
全部過去形で書いたけれど、現在形でもあって未来形でも言えそう。
いろんな嫌なことがあったからこそ、それをばねに前に進むこともあったし、自分のやらない・進まない道を見つけることもできた。
心の傷の原因は、他人・社会のものさし
自分の心の傷をつけるものは、他人や社会の普通との差だ。
ここが、身体の傷と違う。
どう注意しても、自然のままでいようとすると、傷つく。
先日Yahooニュースで以下の記事を見た。
この記事に同じ毛が濃い悩みを持つ自分はとても共感した。
すごい勇気だと思った。
でも、コメントを見ると、社会人として常識を守れない人間として否定するコメントがトップで、多くの「いいね」を集めていた。
多くの人が持ちえない勇気を持つ人が批判されて、批判する人は社会秩序を守る守り人のように、共感されてしまう。
じゃあどうする?できれば従わない、時には逃げる
自分は何度か近いことを考えて、noteに書いた。
けど結論は、できれば素の自分を愛してみること。それは、素の他人を愛すること・認めることにもつながる。
でも、難しいこともある。若いとき、中学や高校の時は、クラスが全体主義のようになっていて、約束事を破ったりはみ出たりする人間の生きる場所をなくそうと、皆が必死に努力をする。
会社に入ってもそのようなことがある。社会は、経済価値を生み出すかどうかで価値をランクづける。年収が高いことが正義のようなメッセージが、ニュースや本屋、学校、塾いろんなところにあふれている。
そんな時は、逃げたり隠したりすることが必要だ。
そうなって、それぞれの人が自立して、他人と過度に比べたり、能力で人間の価値が評価されることのない世の中になってほしい。