今ここの自分を喜ばせることで優しいセカイはつくられる
”今ここ”にある幸せを、十分に感じること。
”今ここ”にある豊かさを、十分に受け取ること。
今という瞬間に、自分自身を喜ばせているか。
美味しいご飯を作ってくれる家族がいること
美味しいご飯を一緒に食べられる家族がいること
家族と美味しいご飯を食べられること
わざわざ時間をとって会ってくれる友人がいること。
家の前で野菜が採れること
美味しい湧水をいつでも飲めること
毎朝夫にコーヒーを淹れてもらえること
時には外食やちょっとした贅沢もできること
受けたい講座を受けられること
自分のセカイを広げる出会いや学びに出会えること
行きたいところに行き、会いたい人に会えること
会いたい人や話を聞きたい人に関われるチャンスがあること
自分を喜ばせるために使える、時間やお金があること
よくよく見渡せばこんなにも恵まれている。
これまでなぜ、
今持っていないものや、未来への焦りばかり感じてきたのだろう。
今ここに、目を向けてられなかったのだろう。
今ここにある幸せを
頭ではなく、身体でしみじみと感じる瞬間が増えてきた
大きなきっかけは、
自分の本当の思いに、素直になってきたから。
「こうあるべき」という思い込みが、少し緩んできたから。
今日はご飯を作りたくない。
今日は予定をキャンセルして家で休みたい。
子どもとお風呂に入りたくない(1人で入りたい)。
1人で子どもの世話はしたくない。
これまでの自分だったら、無理しでもこなしてきたことをやめて
周りにどう思われようと心に沿ってOK。
そう、自分を赦すようになってきた。
そうしたら
意外と、周りの人はどうとも思っていないし
(気にしていたのは自分の心だけ)
私の望みを叶えるような、力添えをしてくる人も現れた。
そんなことを繰り返す中で、
日々の小さなこと、例えば
何を飲みたいか
何を食べるか/食べないか
何を見たいか
今動きたいか/休みたいか
ちいさなことを決める時にも
一旦心を整えて、
自分の想いに耳を傾けるようになってきた。
そして
100%想いを叶えられないことも、
もちろんあるけれど、
そんな時も、自分に
「ごめんね。今は仕方がないから、少し辛抱してね。」
そんな、労いの言葉を自然とかけていた。
今までなら、
外側にある損得で物事を決めたり、
〜〜すべきという思い込みを押し通して、
力技で乗り切って、自分に負荷をかけてきた。
頑張ってきた自分も
縛られてきた自分も
ダメだと落ち込んだ自分も
赦そうとしている自分も
なお頑張っている、縛られている自分も
気がつこうとしている自分も
全部含めて、どんな自分も全て自分。
私もずいぶん
優しくなったなあ。
自分自身に優しくなってきた自分が
見ているセカイだから
セカイも私に優しくなってきている。