人生1年捨ててみたら
人生1年捨てましょう
最近一番刺さったのがこのブログ記事⏬
捨てるという言葉に、
うぐっと、えぐられるような感覚を覚えた。
読み進めていく中で
これまでの自分の行動や考えを振り返って、
どれだけ周りに、自分に期待してきたか。
(そして、裏切られたような感覚を持ってきたか)
(下手したら、ちょっと恨みの感情まで湧いてきたり)
思い当たる節しかない。
くそ馬鹿だわね・・・。
(と思いながら、
今朝も早速「あちゃー、期待してしまってた!」と
気がつくことがあり。)
小さい時からの習慣は恐ろしい。
今までの選択、行動は全部、
「昨日より少しでも成長する」
「昨日より少しでも物事を進める」
「何か成果を出す」
「何かを続ける」
「楽しいことを探す」
「時間の有効活用(できてないんだけど)」
全部期待ベース。
世の中に価値提供できることが大事だって思ってた
自分の期待じゃん。
産後の4年間辛かったのは
「捨てる」って思えてなかったからか。
期待してたからか。
・産後ずっと寝てるのが許せなかった。
・これまでできていたことが出来ない自分が許せなかった。
・何も生み出していない1日が繰り返されていく絶望感。
・世の中から取り残されて年だけ重ねていることへの焦り。
外にも出る元気もない、
家事も育児もままならない(したくない、できない)
ただ寝ているだけの日々
何かしたい(すべき)なのに、動けない
毎日は過ぎるけれど、人としては生きてはいない。
この4年は捨てた、と思っていたけれど
それは別の意味だった。
期待して、捨てきれていないから、
もがいて、苦しんで、疲れて、
返ってこじれているわけだ・・・。
結局これも、期待と焦りの賜物。
クソ馬鹿やろー!!!!
期待をやめたら行動的になる。
捨てるって、覚悟がいる。
これって究極の選択。
「また期待してる(はっ!、ガツーン、しょんぼり)」
のサイクルが目まぐるしい1年になるだろう。
そういえば、自分のためだけに始めたはずのNoteも
読者数を気にし始めたりしている。
アホウ。
頭で解ったつもり〜の今の私には
世捨て仙人への道は
程遠そうだ。
阿呆