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20241005/これから書こうと思う事(仮)Vol.2

昨日の続き…なんですが、脳みそ暴走してて、自分で書いた文章なのに、イマイチわからない。

やれやれ、前準備ということにしておいてよかったなぁ。まぁ、今までもこういう事は何度も繰り返してきました。

それなりに、素直に書こうとは思うのです。過去の思い出したくない事とかも、やはり書かなばなりませんしね。

できるだけ、素直に、正確に。美化せず、冷静に。嫌な記憶でも、捏造したり、大袈裟に書いたりしないように。

明らかに自分に非はないと確信していても、相手が(今でも尚)どんなに憎くても、一つ一つ丁寧に緻密に記述していこう。

そう思って、勢いに任せず、時間をかけて書くのですが、上手くいかない。書いていくうちに頭の中が整理されていくのか、「こう書こう」と思っていた事より「こっちの方がいいのでは?」という気がしてきて、徐々に決めていた基本ラインからズレてしまう。

その時は「これでいい」って思ってしまうのですよね。「これが正確な記述だ」と。

しかし、時間を置くと(大体次の日)続きが書けない。昨日の事なのに自分がどの様な意図で、これからどう書き進めていくか。自分で書いた文章なのにわからない。

それに時間を置いたことによる「文章の粗」も目立ってきます。不正確だと感じたり、前後で辻褄が合ってなかったり。自分に都合の良いように微妙に細かい点を操作していたり。

そんな点が見えてきます。そして続きが全く書けない。書ける気がしない。書いたとしても、文章の流れが A > B > C と、展開しなければいけないのに、C の次がどう考えても D ではないんですよね。まるで違う。「木に竹を継ぐような」って言葉、ありませんでしたかね?あったとしても使い方を間違っている気もしますが…。

正確に書く事は難しいです。あくまで「自分のため」に書いているので、どうしても私心が入ってしまう。論文でなしに小説を書いているのですから、当然かもしれませんがそれでは私が「小説」という形を持って、「自分自身」を問いかけ、整理し、これからの指針を見つけ出すという本来の目的が達せられない。

正直に、正確に書こうと思えば思うほど、「正確な言葉」は指からすり抜ける光のように逃げてしまいます。捕まえたくても、捕まえられません。どうしても「感情」が絡んできます。

客観的に見る事と、感情を正確に表現する事は同居できません。無理矢理やって仕舞えば、それはもう私の書きたかった「私」ではない。

自分を美化して書くつもりはありません。しかし、卑下してただ愚痴を溢すだけの「自分」を書くのなら、こんな面倒な事やめてしまうしかありません。

結局「私の人生失敗だった」、なんて結論の文章書く意味は本当にありませんから。

過去に私の人生を捻じ曲げた存在。遭わなければ「もう少しマシな」人生を送れたのに、ただ「面白くて」悪意ですらない子供の気まぐれで私の人生を滅茶苦茶にした存在。

許すわけはありません。もし生殺与奪の権利が私に与えられたなら、躊躇なく使用するでしょう。それに意味が無くても、失った、致命的に損なった人生が修復できなくとも。

そう、私は私の人生を捻じ曲げた連中を今でも許していません。あの連中が、もう過去など忘れ、幸せな人生を送っていたと考えるだけで背筋が凍るほど怒りの感情に支配されます。

「あんな奴ら、死ねばいい」

今でもそう思っています。私には「忘れる」自由さえないのですから。生涯、心の中の黒い炎と付き合って、向かい合って生きていき、死んでいくしかないのですから。

私は「聖人」ではありません。ただの愚かな人間です。でも、普通に生きていく「権利」はあった筈です。10代ですべて失いましたが…。

許せはしない。けれど「社会的常識」が邪魔をして復讐もできない。あまりに理不尽です。しかし、どうしようもない。

だから、せめて冷静に、正確に、自分の人生を振り返りたいのです。そして形として残したい。

だから「小説」を書きたい。

それだけです。

それだけなんですけどね…。

ああ、やはり感情的になってしまいました。まだ本編は始められそうにないです。

今日も長くなりました。
ここまでです。

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