20241016/これから書こうと思う事(仮)Vol.6
中学生になり、学生服を着ることになった。
ちなみに学ランだった。
特に誇らしくもなければ、嫌でもなかった。服装が変わったからと言って大人になれたなんて思わなかったし、ファッションに拘りもなかったので、どうでもよかった。
ただ、男子は(強制的に)丸刈りだった。これは嫌だった。軍隊か?と思った。今でもそうなのだろうか?多分、そうなのだろうな。
最近だったと思うが、甲子園の高校球児の髪型が丸刈りでなかったから、どうのこうの言っていたと思う。いまだにそんな状況なのかと驚いた。別に丸刈りでも構わないが、選択の自由くらい与えてあげて欲しい。
今でも街中で丸刈りの学生さんを見ると、軽く嫌な気持ちになる。可哀想にと思う。けれど、好きなヘアスタイルにすると、先輩に目をつけられたりするのだろうな。
やれやれ。
中学生になって、一番面食らったのは「先輩後輩」という人間関係だった。アットホームと言っていいのかわからないが、小学校に6年間も籍を置いていた、ただの子供にとって本当に面食らう「人間関係」だった。
ただ一年先に生まれて、一年先に、中学校に入学していただけの人間に、乱暴な言葉をぶつけられたり、軽いにせよ「暴力」を日常的に浴びせられることは「理不尽」の域を越えていた。
そんな理不尽を事前に知らされることなく、ぶつけられて本当に困惑した。小学生の頃、優しかった近所のお兄さんが、呼び捨てで頭を下げての挨拶を強要した時の驚きと哀しみは今でも忘れない。
「秩序」と言うものは年長者に対する尊敬の念から生まれると思うが、無理矢理押し付けられるモノでは決してない。
くだらない人間を、年長者だと言うだけで尊敬できるわけがない。しかし、本当にくだらない人間に限って、「俺は先輩だ」的な振る舞いは多い。これは、この先の人生においても延々と続く。まだ精神的に未熟な中学生にとっては、対応できるわけがなく、本当に辛かった。
「縦社会」というか、ある程度の上下関係を受け入れ身につけておく事は必要だとは思う。しかし、導くべき「先輩」も教師も、間違った導き方しかしていない。
学校において行われているのは「ただのサディスティックな暴力」である。それを教師が黙認している。これは恐らく終戦後、学校教育が再開されてから変わってないと思う。
軍隊内の「下士官いじめ」が伝統として残っているのである。自分が「上官」から受けた仕打ちを、今度は自分が上官になった時に「下士官」に対して行うのである。
この負のスパイラルが現代まで受け継がれているのだ。しかも学校という教育現場で。人格形成に一番大事な多感な時期に。
これは悲劇などより、遥かに酷い。
誰も助けてくれない。助けるべき「教師」も同じくらい酷かった。
中学生になり着せられた学生服。あの黒い囚人服は「色々なことを諦めろ」と暗に言っていたのかもしれない。