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時代の良し悪し

おはようございます。
毒親育ちのゆうと申します。
🌷🌷🌷

ほっといてほしかった。
ほっといてほしかった。
それだけ。
「タラレバ」を言っても仕方ない
現状を見て前向きに生きないとと
分かってはいるけど、頻繁に考える。
「あの人のいない子供時代を過ごしたかった。」
🌷🌷🌷
物心ついた時から一挙手一投足を見張られていた。母の気に入らないことがあると子供相手でも容赦なくビンタが飛んできた。
なので私の行動基準は「こうしたい」などではなく「罵倒されないように」だった。
お陰で二十歳前までの人生
(毒親の概念に気づくまで)は本当に異様だったと思う。
🌷🌷🌷
苦しい時期(ずっとですが)に助けを求めて
読んだ本にはこう書いてあった。
昔(戦前戦後?)は生きて食べていくのに必死で子供の数も多く、親は一人一人に構うことができなかった。衛生状態も良くなく幼くして病気で亡くなる子供もいた。(それで七五三の伝統もできた)
でも、その中で子供はヤンチャで時に怪我をし子供だけで世界を作りイキイキと育ったように思う。(もちろんきれいごとだけではなくマイナス面もあったのは承知です。)
🌷🌷🌷
そして現代。医療の発達で子供が病で命を落とすことはほとんどなくなり、ある程度良い生活ができると、親が子供にステイタスを求めるようになる。
「そろそろ車を、マイホームを」と同じ考えで
人生で自分を満たすものの一つとして子供を得たりする。
そうなると子供に期待値が高くなる。
一人一人の言動見張り「こうあるべき」の
価値観で縛ろうとする。
「一緒に歩いて自慢になる子を」
「◯◯のスポーツで上位になる子に」
「明るくみんなの人気者に」
「高学歴に」
「恥をかかせない失敗しない子に」
「英語が堪能にな子に」
そんな多い要求を課せられた子供は
物心ついた時から重い石を背負ってレースの
スタート地点に無理矢理立たせられてしまう。
当然周りの大人のほとんどは
「よその家庭のことだから」と
見てみぬ振り。

その子供が背負った重すぎる重積は
何十年も経って、世間を驚かせるような
事件となって爆発したりする。

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私に限っていえば、
生まれた時から「この子はおかしい」と
レッテルを貼られ子供らしくイキイキすることも甘えることもなく、母の価値観を背負ったため時に人から嫌われることもしてしまい
将来の夢を見ることが無く過ぎてしまった。

もちろん、今から前向きに
生きることは自分の責任であるし
そうするつもりではある。

でも当然過去の出来事の洗い出し、
その責任の所在はキチンと確認しないと
いけない。
普通親育ちの人から見たら
「いい歳して親のせいにして」と思われることでも部外者には関係ない。
それは毒親育ちが自ら苦しんでも
前を向いて必死に向き合わないといけないことだから。

🌷🌷🌷
最後までお読みいただきありがとうございました。