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喜びとともに「自由」を体感した日

あ〜、たのしい一日だった。

今日のテーマは、『喜ばれる人になる』。
これは、毎朝やっている書物占いで出たもの。
「ハードルが高いなぁ。」というわたしがいて、
「じゃあ、まずはわたしがわたしに喜ばれるってテーマで過ごしてみよう!」というわたしがいた。

いつものわたしは、「それってどういうこと?」と、わかってからやろうとする。
知らないし、わからないからやってみるのに、これじゃあ本末転倒。いつまで経っても始まらない。結果、自分が不満足。
だけど、今日のわたしはそんなこと考えることなく、実践していた。

あ、思い出した。
「空にして受け渡す。」と心に決めていたわ。
「どうぞどうぞ、わたしの身体を使ってちょーだい。」みたいな。

そしたらね、なんとね。
わたし、とても穏やかだったの。
病棟での仕事中、何日も便が出ていない患者さんに座薬を入れるのひとつも、相手に伝わったと感じるまで丁寧に伝えているわたしがいて、自分が観ているチームの患者さんが転倒しても、慌てることもなく、煩わしいと感じることもなかった。

今思えば、ここ数日でコロコロと病室が変わっていた患者さんだったからきっと落ち着かなかったのかもしれないな。まぁ、本人すら自覚がないだろうから確認の仕様はないのだけれど、こちらの関わり方は変えられる。

穏やかに接したり、動いたりしているわたしは、自分のことも相手のこともよく感じていた。
だから、耳が遠くてもわたしの話を懸命に聞いている患者さんを感じて嬉しかった。
表現力が乏しく、手を噛むことでいろんな気持ちを伝えようとする患者さんがいるのだけど、今日のその様子は「嬉しい」だと感じた。
そのまま、「わたしが来て嬉しいね。人好きだもんね。」と伝えると、すぐに手を口から離す彼。
「あはは。わかりやすっ。図星だったね。」と笑うわたしを見て、にこにことしているのが嬉しかった。

起きていることがどんなことであれ、どんなわたしでいるのかは選べる、どう観てどう反応するかはわたしが決めることができるってこういうことかも?「自由」ってのもこういうことかも?とワクワクもしていたなあ。

そして、夜。
毎月たのしみにしているひとのことアカデミーの探求クラス。

ここでのテーマは、「嬉しかったこと」。
喜怒哀楽でいうと、喜びに入るので、今日わたしのテーマにぴったりだった。

参加者17名。
それぞれの嬉しかったことを聴く時間は、とても豊かなものだった。

わたしは、看護学生の頃、実習から逃げ出したくてたまらない時期があって、成人式のために地元に帰ったことをきっかけに本気で逃げ出そうかと迷った3日間があった。

3日目、学校の先生から電話があり、「とにかく帰ってきなさい。」と。帰ったら帰ったで、自然と病棟へ心が向いているわたしがいた。まぁ、気づけば白衣を来て、職員室へ。
そこにいた教育主事の先生が、「やめるのはもったいない。あんたにはセンスがあるから。」とひと言。そして、「あんたを待っとる患者さんがおる。行ってらっしゃい。」と、病棟へ送り出してくれた。

忘れない出来ごとだったけど、今日のわたしが思い出すと、過去に感じていた以上にその言葉は暖かく、わたしを喜ばせるものだった。同時に、わたしを安堵させるものでもあった。

なんとか看護師になることができて、今もなお看護を続けることができるのは、その先生の言葉のおかげだなぁ、と思うと、今のわたしにとってもただただありがたい。
そのありがたさは、当時の何倍にも深みを帯びている。

いつかのわたしは現場の文句を言いまくっていて、あんな場所絶対に戻りたくないと思っていた病棟というところで、今は「あー、たのしかった。」なんて言っている。
なんなら、嬉しかったことがたくさんあってしあわせな一日だったと感じているのだ。
こんな経験ができているのも、あの日の言葉がわたしの支えとなっているから。

そして、何よりこの探求クラスという場で、希望をみせ続けている講師と、ともに学び合う仲間がいるから。
そして、しぶとく自己探求をし続けているわたしがいるから。

わたし史上最高にしあわせな一日を生きることができた。

と、まぁ、こんな感じでただただしあわせでいていいんだよ。
ということを学んだ会だった。

3歩歩くと忘れるから、記録しておく。


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