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|音楽評論|グレン・グールドとのフーガ技法,ユダヤ人についてのあれこれも……いろいろと………それそれ。

カナダ生まれのユダヤ人Pianistピアニスト、
グレン・グールド。彼の音楽批評を対位法、バロック的な広がりを魅せる展開で進めていきたいと思っています。

よく知られた彼の大胆にも革新的な、長い原曲を大胆にもカットしたほとんど編曲に近しい、グールドの実質のデビュー曲、バッハのゴルドベルク変奏曲。

映画・羊たちの沈黙の中の思い付くシーンが、脳裏に蘇る、そういうヒトいますよね?

鉄格子に囲まれた食人鬼の精神科医、ハンニバル・レクター博士。彼は物憂げに、アニュイなこの曲のオープニングを黙って聞いているシーン。ゴルドベルク伯爵の不眠を治すために創られたとのいわれあるこの曲。何故か
レクターに重なって行きますね。

私自身にも若い頃の記憶ですが、想い入れが深くあり、その時に得た感慨はグールドが鍵盤を打つ、そのたびごとに厳選された音の粒がひと粒ひと粒 響き紡ぎ出されるそのココロの響きの感慨は……今も心の中に響いています。 

彼はバッハに自らの演奏世界を若い頃から、晩年まで自らの音楽世界を重ね合わせて演奏を続けていたと言えるのではないのでしょうか?宗教的音楽家バッハの重い音楽的構築を編曲する事で、崩す、解体する、編み直す、そしてジャズの様な砕けた曲に変身させていく。それらを通じてグールド自身の音楽世界を創ったと私は昔から想います。

そしてグールドを通して、バッハ、ベートー
ベン、そして一番尊敬していた、ヴィヴァルディ、ヘンデル………………………
主にバロック作家、それらの作曲家達の巨匠たる凄さ、そのゆえんが凄いスケール、凄い細かさで、はっきりと聴こえてくるのだと……私は推測します。彼は単なるクラッシック音楽のピアニストでなんかではなく、原曲を作り替えたり、アレンジしたり、時に原曲を超えたり、グールドという膜を通してレコードを聴く聴衆に届けたのであると、ほとんど編曲者なのでは?

バッハのフランス組曲では、グールドはフランス宮廷舞曲の数々を、時に軽快に、時に哀愁漂う悲しみとして弾きこなします。実際の題名はフランス趣味の……といった所ですが。

イギリス組曲では英国的な先進性をバロック
の未来的な編曲に仕立て上げ……

私が一番面白かったと思えるのは、イタリア
協奏曲BWV.971。
これもイタリア趣味による協奏曲というだけの命名でしょうが、第3楽章 PRESTO
これは私から見ても必見です。信じられない位のグールドの速弾き、変節、変節、変節と
凄まじい速弾きで転調を繰り返すところが、
まるでオモシロイ、ユーモア溢れるイタリア人、バイタリティー溢れるイタ公達が無意味にジタバタ大笑いしながら騒ぎまくる………その様子が思い浮かび、心地よいユーモア、笑いに包まれます。noteの読者のみなさんも一度聴いてみたら良いでしょう。心地くコミカルで面白いですよ。

ここらで本題の核心に近づきたいと思っております。

曰く……グレン・グールドの母親は、幼い少女の頃から自分の子供、娘、息子が産まれたら、ピアニストになって欲しいという……願いが……

それは、くり返しくり返し、グールドの音楽
アルバムのライナーノーツに書かれており、
それは一種の隠喩、例えであり、グールドも、また母親に背後から追い立てられて、なかば脅迫的にピアニストの道へと行かざるをえなかったと。それは、また欧米の白人達によるユダヤ人分析・批判でもあるのです。

いわく、帰る故国、故郷の無いユダヤ人にと
って世界各国の各都市にしがみつき、居つき
、主に金融方面の商才により世界をダイナミックに動かし生き延びてきたのです。

紀元前11世紀、カナンの地に栄えたユダヤ人の国、ヘブライ王国。ダビデ、ソロモン王
により治められたユダヤ人の王国。そこで、紀元前百年前に何が起こったか?曰く、原爆投下直後の広島、ホロコースト真っ最中のナチスドイツ。それよりも強烈な人格が崩壊した何かが起こったか?神の声を聴いた……ディアス・ポラ……流れよ……散れ……と。そしてユダヤ人達は国を捨てて全世界に散らばっていった。常識的に見ても、ユダヤ人全体で聴いた共同幻聴でしかない。何もその痕跡が残っていない。ローマ帝国軍が侵攻してきた、とすればパニックになったユダヤ人達による互いの皆殺し大量殺戮の惨劇が起きたと推測できます。

ユダヤの家庭に父権など無い、男より女の方が強い、生物学的に言っても。チェコ・ユダヤの小説家フランツ・カフカ……我々ユダヤは母親に追い立てられて来て育った……グールドの家庭にもそれはいえ、毛皮商人の父親の影が一切見受けられない。母親の影のみが……。

ユダヤの写真家、ダイアン・アーバス、彼女もまた母性に強烈なストレスで追い詰められ異常な異世界へと追いやられ、精神に異常をきたし自殺をしてしまいます。

グレン・グールドもまた、母性に追い立てられてたまらず母親の、望み通りにピアニスト
になった。だが、彼の様々な変人伝説。曰く
演奏後に両腕を温度設定のぬるま湯に漬けて
癒やし……日本の十勝産小豆に手を潜らせ……真夏のカナダで35度を超す暑さの中、コート五枚重ね着でマフラー姿で表れる。夏場はクーラーがききすぎている所が多いので身体を冷やして演奏に差し障りが無いように等、などの確かにそうだけど、変だと分かった上で意識的にやってる奇人変人行動は、日本の漫画家、石ノ森章太郎等が面白くマンガで紹介しています。それらは背後からのうっとおしい母性の管理に対するグールドの変人的な反発。

それはグールドのピアノ演奏時にも見て取れ
演奏中に舞台袖に消え、いきなりノコギリを
持ち出しピアノの椅子の足を切ってピアノと
自身との高さを合わせる、と、まあ理由は有れども、かなり変!な行動。これらはピアノの椅子は自身を受け止めようとする母性本能
のシンボルであり、そのうっとおしさに対するグールドのユーモアな反発でしょう。

よくよく見てみればピアノを弾いてるグールドはチンパンジーかオランウータンに見えて来ます。人から猿への退化……これもユーモアなパフォーマンスかな。

やがて彼は演奏会を捨て、スタジオに籠もりスタジオ録音に集中していきます。モグラの
様に。古代から世界各国の各都市の地下に潜るユダヤ人の様に。ユダヤ人のアンネ・フランクもナチスに逃れて地下へと逃れて……。

そして、決定的な印象をもたせる亡くなる前の最後のアルバム、ゴルドベルク変奏曲のジャケット表紙。後ろに倒れ転ぶ寸前のギリギリに傾いた椅子に座った老人のグールド。様々な批評家が精神分析的に何となく言いつつも、ハッキリと言及しないが、あえて言えば……

    父さん………助けて……………。

グールドの心の中の叫びが聴こえてくる様です。いわゆる………エディプス・コンプレックスと言うやつで。

俳優ジャック・ニコルソン、|映画|シャイニングで、キューブリック(米国のユダヤ人映画監督)は隠喩でこう、笑いながら語ります。キューブリックは十分過ぎる撮影時間があるのに我々を急かすんだ……まるで……ユダヤの母親のように…ねぇ……(笑)と。ユダヤにそれをバラされれば全てが崩壊してしまう何かの急所を握られて…の、ユダヤに対するイヤミ………

グレン・グールドは父性の一切無い、母性が
全てを受け止めるユダヤ人の何たるかを、変人的なパフォーマンスをユーモアに人生を通して体現したのでしょう。どうです?とある
人物の人生をその行動パターンから精神分析
で、その裏にあるものを読み解く。って推理物の小説の読みみたいで面白さがあるでしょう。

バロックとは、意外に知られていないが、歪んだ真珠、という意味で……推測してみれば、
無数の真珠がひと粒ひと粒、コロコロとあらゆる方へと転がって散乱していく様は、バロック音楽の、音の一粒一粒が自律していきつつも拡大していく、正しくバロック音楽の雰囲気を体現していくと言うか……フーガの技法の様に左右の両手が別々に音を奏で世界的に拡大していく、と言うか。グールドはそれをユダヤ的に表現していると言ったら読み過ぎでしょうか。


    おとぎ話はまた後で………

    またの日の夢物語………。



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