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「短編小説」、僕は、僕はけっしてダメなヤツでなく色々なからだをもちつづける、水晶の国の主人公なのである説…という訳でホントのところは……
学校に遅刻してしまいそう……。
登校中に河のせせらぎに、見とれ学校のことをすっかり忘れてしまっていた……。
どうしょう!?今から行っても小学校の校門は閉まっているはず。
もう、どうでもいいや!!
なんか、全てあきらめたらスッキリした!
川の横に座ってみる。緑の木々が横に茂っている。河を見ていると、時を忘れていく自分に気付いていく。早朝の河はキラキラ光り目がまぶしくなってくる。学校の事なんてどうでも良くなってくる。全てがせいせいしてくる。
その時、自分って上からみたら……、どうみえるんだろう……。
このまま、眺め続けて河横の川辺に居続けてみたら、どうか?
木材で小さな小屋を作って、日がな一日中、河や真っ青な空や緑の木々を見て、鳥たちの鳴き声を聴きながら一生を終えるのも悪くない。寝転がりつつ居眠りしながら……。後ろを通りすがる通行人から君、何をしてるんだい!学校はどうしたんだい!とか、お母さんは、何って言ってるの?とか話しかけられて説教されるんだろな……
また、川辺に沿ってマラソンをし続けるのも悪くない……。偉い、偉い、偉いと褒められたりして……。注意する人は誰もいないかも。
ココからスタートして日本全国の川辺を一年間、マラソン一周で横断てのもの悪くないかもね……。マスコミに持ち上げられるってのも悪くない。
また、すべてを捨てて石像のように、ロダンの考える人になって誰からも見捨てられる、そんな存在も……。
せいせいしていいかもね。
こんなのもいいかも……川辺に座り、川辺を見つめつつ思いついた言葉を、ポツリポツリと詩人のように、ポエムとしてまとめ上げ、通行人達に、耳に届くようにそらんじる……。
川辺に春の山菜が生え始めている。つくしやノビル……何かの山菜を道行く人達に野草の生態のレクチャーしつつ自己陶酔しつつ、植物学の大先生、大、大教授になんかになったりして。悪くないかもね。
底ら辺にいる地域猫、耳カットの猫と遊びつつ、猫に芸を仕込み小さな小さな小さなミニサーカス団を川辺に立ち上げ売り上げを儲けちゃったりして……
今………、思った。
僕は、僕は、様々な印象を見せて生き続ける、水晶のような万華鏡のようなものなのかも知れない……。
なにものをも捨ててしまう。それは世界が光り輝いてみえてきてしまう。それは、ちょっと感動してきちゃった。
そして、僕は、今、覚醒した。
小学校に行くことにした。遅刻で叱られるだろう。
ちょっとイヤだけど。素敵な気分が今の僕の心の中には、それはある。
少し変わった過去の自分に別れを告げて……。
Fin。