明治維新以降の日本は失敗だと思って生きる。
突然だが、僕は日本語が好きだ。日本人だから日本語だけしか使えない事も関係していると思うが、この言語を32年間使ってきたが、嫌に思う事は少なかった。なので、この文章は日本語の将来を考える上で言及している点について予めご承知して頂きたい。
僕は明治維新以降の日本は失敗だと思っている。別段、江戸時代が成功だった等と主張したい訳ではない。だが、江戸時代も明治維新以降も基本的には世襲政治で日本は統治されているが、切腹という作法によって、責任を取る風習が残っていた江戸時代の方が政治自体に一種の緊張感があった事は間違いないだろう。
明治維新とは欧米の植民地支配を回避する為に薩摩や長州の下級武士が大同団結し、頑迷固陋な徳川幕府を倒した正義の革命等ではなく、その実態はイギリスという外国勢力によってなされた日本の伝統文化の破壊を目的とした堕落である、と僕は考えている。日本人にそもそも洋服など似合わないであろう。日本人は奈良時代から、中国大陸から伝来した儒教、即ち四書五経によって道徳心を磨き、語学力や思考力を深めてきたのだろう。そもそも廃藩置県等本当に必要だったのか?幕藩体制からなる国家運営が二十世紀以降の国際政治で通用しないと誰が決められるものだろう?僕は小学生の頃からそんな事を不思議に思いながら生きてきた。だが、そうした明治維新による伝統文化破壊活動の総括が未だに誰の手によってもなされていないのである。
伝統文化と政治的独立を失った国家が領土拡大のみに意義を見出すのはある意味で当然の話だ。奈良時代以来培ってきた儒教と仏教という伝統文化を失い、幕藩体制という政治的独立を失った大日本帝国は1945年9月2日まで戦争を繰り返す事によって自らの存在意義を証明してきた。そもそも大東亜戦争はアジア解放の為に避けては通らぬ聖戦だった、と言われるが、果たして本当にそうなのだろうか?340万人もの同胞を犠牲にしてまで実行されるべき戦争だったのか?
日米開戦を行った事で日本は最後の砦であった軍事的独立(帝國陸海軍の解体からの日米安保体制)さえ失い、敗戦によるGHQの占領期には漢字が簡略化された上に当用漢字まで制定され、仮名遣いも旧仮名遣いから現代仮名遣いに改悪されてしまったのである。国語を改悪されてしまった民族にどんな建設的で明るい未来が築けるだろうか?僕は国語とは民族を素直に現す鏡である、と思っている。その鏡を失った民族は自らの身体さえ体得する事なく朽ちていくのではないだろうか?
しかし敗戦後の日本は日米安保という癌を破棄し、米軍基地を日本列島から完全撤退させる事なく、約八十年もの時を過ごしてしまった。そして平成の三十年からは全く経済成長をする事なく、しかもその異常事態を社会も国民も拒絶する事なく、是認してしまっている。もはや残された道は経済が停滞しているが故に、少子化が進み、日本語を母語とする日本人が減り、移民が代わりに増える事で英語が第二公用語となり、それ故に日本語の力がこの日本列島で弱体化させられ、いずれ日本語自体が消え失せる事になるのではないだろうか。
これが数十年後の未来だとしたら、日本語が好きな僕にとっては最早この日本は失敗であるし、そもそも日本語がここまで価値を持たなくなった原因は敗戦後の国語改悪であるし、その大東亜戦争の発端は明治維新にも関係があるのだから、結局は明治維新以降の日本は失敗街道に足を踏み入れた事になる。
この百五十数年、日本人は自ら日本人である事を放棄したと言っても過言ではないだろう。