NHK土曜ドラマ『Shrink-精神科医ヨワイ-』雑感――双極症Ⅱ型当事者より

大学生になって下宿を始めた頃からテレビドラマはほとんど見ていない。
ネットや携帯電話、スマホばかり利用するようになって、テレビから離れた時期と一致している。
今でもたまにテレビで見るのは、野球中継かアニメくらい。

それくらい、好みが偏っているのだが、精神科医が主人公で、「双極症(双極性障害)」がモチーフになる話数と事前に知って、興味を持ったので見てみた。

通してみて感じたのが、ドラマとはいえ、なかなかに双極性障害のリアルに迫っているな、ということ。

主人公は系列店のラーメン屋の店長。
二人暮らしの妹のことを見守りつつ、厳しいノルマに耐え、店を切り盛りしていたが、過度のストレスが祟ってか、うつ状態になった模様。

妹に心配されて、心療内科を受診し、睡眠薬と抗うつ薬を処方されて、とりあえず様子を見ることに。

その後、抗うつ薬の影響もあってか躁転が起こり、異常に活動的になってラーメン作りに精を出し過ぎたり、人が変わったように陽気になって街の顔見知りにウザ絡みしたり、性欲が昂進したり……。

「本当に兄はうつ病なんだろうか」

そう心配する妹さんが、もともと兄の店の常連だった主人公の精神科医から助言を受け、「双極症」の可能性を告げられ、周囲の助けを借りて「医療保護入院」に至る。

この辺りのおおまかな流れが、双極性障害の患者が受診するパターンによくあてはまるのよね。

現に私もそうだった。

私の場合は自殺企図によって、職場の上司らに実家の両親を呼ばれ、両親に引き連れられる形で心療内科(精神科も標榜)を受診

その後、しばらくはうつ状態だったが、2か月後くらいに抗うつ薬の一種(確かサインバルタだったと思う)を飲んでしばらくすると、明らかな高揚状態に。

携帯のアドレスに入っている相手(疎遠になっていた人も含めて)全員に連絡を取ろうと試み、大学時代の知人らに会うためにあっちこっち駆けまわり、それまで一切関わっていなかったクラス会に参加したりした。正義マンムーブになって、電車内で他人の悪口を言っていた中高生に掴みかかるなど、およそ本来の自分ならやらなかったことを平気でやったりした。

当時は「双極性障害」だと理解しておらず、病気が治ったというよりは(そもそもの自殺企図が、病的というより性格の問題みたいに自覚していた)、「生まれて初めて本来の明るい自分に出会えた」という感覚だった。世界がバラ色に見え、自分には何でもできると思い込み、休職していた職場の同期の飲み会にも参加したりした。たぶん周囲からは「こいつ本当に病気なのか? 仮病なのでは?」とか思われていたかもしれない。2010年代初頭のあの頃、「勝手うつ」とか「新型うつ」という概念が語られつつあり、双極性障害患者の「躁状態」と「うつ状態」の変動は、そういうレッテルを貼られることもあったのだと思う(今でもあるかもしれない)。

ドラマの内容に戻る。
医療保護入院となった時の、ラーメン店長のお兄さんの抵抗する姿が、見ていてつらいなあと思った。
周囲から見たら、双極Ⅰ型(「躁状態」がはっきり表れるタイプ)は、症状が悪化しているときに「明らかにおかしい」と認識しやすくなる。

一方で本人は人生最高の気分なんだから、病気だと言われて病院に押し込まれるというのは理解不能だし、周囲から裏切られたような気分になる。もうほんと、反発して抵抗しちゃうんだよね。「ただ日本一の最高のラーメンを作りたいだけ」本当にそう信じて行動しているからね。それで何で富士山に行っこうとするねん!と普通の人には思われるかもしれないが、その脈絡のなさ、行動の飛躍がまさに精神疾患なんだわ。

私もコロナ禍真っ最中で、移動制限がかかっているときに、いきなり「今日は千葉でロッテ戦を見なければいけない!」という謎の焦燥感に駆られて、大阪から始発ののぞみ号に乗って関東に行き、それをわざわざ職場の先輩になぜか自慢げに伝えて大目玉を食ったことがある(確か、前日にやたらハイになっていて、上司に相談して「明日かかりつけ医に行きます」と言っていたのに、この行動だ。こうやって周囲から信頼を失っていくのである。なお試合は入場者数制限があって、マリン球場に来たのに当日券販売がなく試合は見れなかった。その後、急に自分の極端な行動が不安になって、その日のうちに新幹線で大阪に帰ってしまった。こういう移動頻度の増加が金銭の浪費の一端になる)。

私の場合は双極Ⅱ型(「躁状態」よりは軽い「軽躁状態」のみが症状として見られる)なので、周囲から「明らかにおかしい」と認知されることは、よっぽど妄想に拍車がかかって喋り散らすときくらい。
基本的に、高揚してても何とか仕事はこなせる場合が多い。けれど、心中では「自分はこんな職場に甘んじているわけにはいかない! 自分は小説家になれるんだ! こんな職場すぐにでもやめて自分らしく生きるんだ!」みたいな確信に満ちていて、冷静な判断が阻害されたりしている。
もちろんこれは私個人の場合。とにかく私が軽躁に傾いているときは「小説家になること」ばかり考えちゃうんだよな。というか、「もうなってる」というような妄想や「脳内受賞記者会見」の模様が映像的に脳裡に立ち現れて、現実感が揺らぎ、妄想によって視界に靄がかかり、まともに目の前の仕事に従事できない感じ。
それなのに、自分は何でもできると思っていて、周りにやたらめったら自分の意見を主張したり、「ちょっと病休取るか?」と言われたら「私は仕事できます!!」と猛反発し、かと思ったら「こんな仕事やめてやる!!」と上長に向かって叫んだりとか。実際に以前してしまったことだ。
これだけ振り返ると、私も双極Ⅱ型レベルにとどまらず、Ⅰ型レベルと認められてもおかしくないかもしれないな。医師の診断ではあくまでⅡ型だけれど。
私は現在の職場で約8年勤めているが、3度、双極性障害を理由に休職している。とりわけ「軽躁状態」では周囲に迷惑をかけているが(近年になって、「迷惑をかけた」という自覚がしっかりでてきたように思う。以前は自分らしさを発揮しているだけで、周囲の迷惑などを想像するのが難しかった)、職場に信頼できる上司が数名おり、彼らから親身になって諭されることで、自分の状態に少しずつ向き合えるようになってきたと思う。

ドラマの中では、双極症の兄の周りには、家族である妹と、かつて柔道をしていたときの恩師と、主人公の精神科医ら医療スタッフが登場する。

「ひとりで闘わずに、チームとなって、病気と闘っていく

そういう趣旨の言葉を医師が投げかけていた。双極性障害の治療法について述べられた著書では、たいてい記されていることだろう。
悪いのは本人ではなく、病気そのものであり、本人ひとりの問題として扱うのではなく、周囲の人間関係のなかで、うまく病気と付き合いながら生きていく。

本当に、これに尽きると思う。

「脳の病気」だけれど、風邪や他の臓器などの病気と違って、薬だけじゃ治らないのよね、精神疾患は。

双極性障害に限らずだけど、まずは自分自身がその病気になってしまったことを受け容れること。

そして、病気について、自分自身も周囲の人も十分に理解すること。

病気は、本人のもともとのストレス耐性の弱さといった素質と、周囲から受けるストレスの多さなどの環境が、相互に影響して発現すると理解し、自分自身のストレス対処能力を上げる心理教育を受けたり、職場環境を改善するなど、適切な配慮の在り方を会社と相談したりする。

ひとつひとつ、自身が困っていること、課題をベターな方向に持っていき、病気を抱えながらも、少しでも生きやすくなるように前を向いていく。

ドラマの中では、病気の受容という一番難しいと言ってもいいことに対しての、患者の葛藤が丁寧に描かれているな、と思った。
まあ、ドラマのように1~2か月程度のスパンで受容できることは、現実的にはまずないと思うけれど。

私の場合も、気分安定薬を常時飲むことに対して納得するだけでも、8年くらいはかかったと思う。
私の母親は、かつて大学病院の精神科に勤めていた看護師で、薬の処方が適切か否かは母親からも助言を受けたし、親族に統合失調症を患っている人が2人いて、精神疾患に対しては、普通の人よりは知識があったと思う。
それでも、自分が精神科の患者になったということは、やっぱり、受け入れがたいものだし、自分自身が精神疾患に対して持っていた偏見もあいまって、猶更苦しい部分もあった。今でも、皮膚科や歯科に受診する時に、自分が精神科の薬を飲んでいることとか、正直知られたくないと思ってしまうのよね。精神科の患者とみられることに、嫌な感じがある。精神疾患で病休することに、他の病気で休む人よりも、後ろめたい気持ちを持ってしまっている部分が、今でもある。
周囲の偏見の目を意識してしまってのことだが、それは裏を返せば、自分自身も自分もなっている精神疾患に対して偏見を持っていることの証左のように思う。

ドラマの中で、双極症になった兄は、医療保護入院を経てからの退院後、生活訓練施設に通っている間に、ラーメン店から解雇されてしまう。

何とか職場復帰、という着地点に持っていくストーリーもありえたと思うけど、このほうがむしろ現実的だよね。

で、こういうショックを受けた直後に、自殺未遂とか、突発的な行動にでちゃうのも双極あるある。
気分は「うつ状態」なのに、体は動くという「混合状態」のときが一番怖い。

ドラマの中では、周囲の信頼できる人との関係が維持されていたことで、兄は何とか持ち直し、今後も周囲に見守られながら粘り強く病と闘っていくという方向で締められる。

希望を持たせてくれる展開だけれど、道のりは険しいし、今は良好な関係性が維持できていても、今後の生活環境の変化によって、決定的な決裂が生まれてしまうこともある。支える側もひとりの別個の人間なのだ。彼らにも彼らの人生があり、限界がある。

人生は長い。
長い人生を、「完治しない病気」と向き合って生きていく。
つくづく難しいなあと思ってしまうのである。

(了)









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