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メロンパン・レボリューション 〈エッセイ〉

 人生の中に、尋常では無くメロンパンに執着していた時期がある。
 
 それは小学生の頃の話だ。当時は僅かな小遣いを切り詰めて駄菓子を買い食いするような時分で、そんな小学生にとって100円以上する菓子パンはこの上ない贅沢品だった。100円あれば、3日は友人と買い食いが出来るのだ。
 それでも僕は一年ほど、友人の楽しい誘いを断ってまでも、一人でメロンパンばかりを食べていた。それくらい、執着していたのだ。
 
 さて、それでは僕がメロンパンをこよなく愛していたのかと言えば、実はそうではない。むしろあまり好きでは無かったのだ。というか、菓子パンの中では嫌いな部類に入っていたし、別にメロンパンを食べなければ死ぬような病に罹っていた訳でも無い。
 
 僕がメロンパンに執着し始めたのは、当時に読んだある一つのエッセイがきっかけだった。作者や詳細は記憶していないのだが、
 
「幼い頃に親から禁止されていたメロンパンに憧れ続けて、それを遂に自分で買って食べると、想像を遥かに下回った。憧ればかりが大きくなって、現実のそれとの落差にガッカリしたのだ。それでも作者は、大人になってからもメロンパンを見たら買わずにはいられない」
 
 大体、こんな話だった。
 
 幼き日の僕はその文章を読んで、なんて素敵な話なんだ!と深く感銘を受けた。切ない現実を知っても色あせない憧れ、それに強い憧れを覚えた。
 つまり僕は、恋に恋する乙女の様に、メロンパンに憧れることに憧れていたのだ。ややこしいけど。二つの違いは、恋に恋する乙女は可愛らしいけど、僕は別に可愛らしくはないという点だけだろう。
 
 そして、好きでもないメロンパンを食べ続けた結果として、僕は共に駄菓子を買い食いするような友人を失い、体重が若干増えた。メロンパンを美味しいと思う瞬間は遂に訪れなかった。大人になった今でも好きじゃないし、見つけたら必ず買うということも無い。
 嫌いなものを好きになることはとても難しく、努力次第でどうにかなるものでもないと思う。
 
 僕は昔から嫌いなものが多かった。流行りの音楽やら人気の飲食店やら人間関係についても、多くの人々が楽しいことを当然として受容している事柄が、どうにも受け入れられなかった(それは周りに合わせられないという意味も含めて)。いわゆる「尖っている」とか言ってしまえばそれまでだけど、そんな言葉じゃ包括しきれない強烈な感情がそこにはあった。
 
 そして現在になって、それらが心底嫌いだという想いは消えている。それは、様々な形で「嫌いなもの」と接することによって、状況によってそれがもたらす感情が大きく異なることが分かったからだ。嫌いだと信じていた事象が場合によっては楽しく感じることもあれば、より嫌悪が強まるということもあった。
 黒と白しかなかった僕の世界には、経験に応じて灰色の部分がたくさん生じた。それは状況に応じて黒に染まることもあれば白く輝くこともある。
 
 嫌いなものと触れ合ったからといって、それを好きになる可能性の方が低い。その場合、時間や金や体力を無為に浪費することになる。だから、嫌いなものに向き合うべき!なんて一切思わないけれど、嫌いなものを遠くから眺めていても好きになる可能性はゼロのままだ。
 どちらを選んでもリスクとストレスは生じるが、選択肢は常に存在する。新たな幸福を求めた結果のストレスを回避するか、リスクを背負ってでも新たな幸福を求めるか、全ては自分次第だ。僕に言えることがあるとすれば、負の感情は原動力にもなるが心身をすり減らすことは間違いないということだ。
 
 メロンパンの話に戻れば、僕はいわゆるノーマルな「メロンパン」は好きになれなかったが、『メロンパンの皮焼いちゃいました』という商品にはハマったし、中にホイップクリームが入っているタイプのメロンパンは好きだ。そして、スティック状になったメロンパンは好きじゃない。
 つまり僕は、ボロボロと崩れる食感と砂糖だけの単純な味が好きじゃなかったのだ。「メロンパン」が嫌いだからといって、そう括られるものを全て否定してしまえば、そこで終わりだ。対象に目を向けてそれが嫌いな理由を知れば、逆説的に好きになれる素養がある他のものが見えてくることもある。
 
 僕はこの文章を書くために嫌いなノーマル・メロンパンを買ったが、それがコーヒ―と一緒に食べると丁度良いということを知った。嫌いな音楽も聴く場所によってかけがえのないものになり得るし、嫌いな場所も愛する人と行けば思い出になり得る。心の底から好きになれるものは少ないが、心底嫌いになれるものも意外と少ないのかもしれない。勿論、どうしたって好きになれないモノもあるけれど。
 
 結局、あらゆる事象は多面的で、全てはそれのみで成立している訳では無い。自身の視点や周囲の状況を変化させれば、全く違った側面が生じてくる。貴方が嫌いなそれは、もしかしたら何処かで皮だけになったり、細くなっていたり、或いはホイップクリームが入っているかもしれない。
 
 僕はそんなことを、コンビニの安っぽいメロンパンから教えて貰った。
 ちなみに「メロンパンの皮焼いちゃいました」という商品は、2024年6月現在では販売が終了しているらしい。自分が好きになったとしても、相手の方から離れていく。もちろん、そういう場合もある。
 
 そう、全ては多義的なメロンパンのように。


村井 悠

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