気まずい 夜明けのすべて (2024年製作の映画)
リアルというよりawkward。
awkwardの翻訳を見ると、気まずい、ぎこちない、不味い、照れくさい、重苦しい、ぶざまな、不器用な、不具合な、不為な、など。
ドキュメンタリータッチのリアル演出だが、な~んか、いちいち気まずい。びみょうな不自然さがついてまわる。それが気持ちわるかった。ぬるっとしていて、からっとしてくれない。
その形容は気まずいがしっくりくるが、ぎこちなさ、照れくささ、重苦しさ、ぶざまさもあり、つまりawkwardだった。
同僚男性のアパートで女性が髪を切るのも、お菓子やたいやき買ってくると「栗田科学」が色めく様子も、喫茶店でコーヒー注文するのも、ヘルメット前後逆にかぶる光石研も、移動式プラネタリウムも、全シーンがawkwardで終始ぬるぬるの映画だった。
月経前症候群の藤沢(上白石萌音)とパニック障害の山添(松村北斗)が助け合う話。栗田科学の職員はみんなつましく、まじめ。藤沢母(りょう)は要介護、栗田社長(光石研)や山添の元上司(渋川清彦)は大切な人を亡くして心に傷を負っている。
主題は誠実かつ人道的で、移動式プラネタリウム上演とその解説文作成を頂点とし、藤沢と山添が干渉しながらなんとか自分なりの道を見つけていく展開には切実さがあった。
映画は丁寧につくられており、人々は善良で辛い病や体験に向き合い、小さな幸せにしっかりとつかまって生きている。コンセプトにも志にも咎はない。が、なにしろawkwardで見づらかった──ので、そっちを点数にした。
じぶんは健常で悪いところはないが、厄介ごとに直面したとき、ADHDとか鬱病とか無呼吸症とかなんでもいいがなんかもっともらしい病名の症状がないものか──と思ったことがある。
この映画にもその命題、病を人生の言い訳にできるか──がでてくる。
PMS(月経前症候群)発症中に面罵してしまった知人にどうやって謝ったらいいか悩んでいる藤沢を見て──、
山添『でも便利っちゃ便利ですよね、好きなこと言っても病気のせいにすりゃいいんですから』
藤沢『パニック障害だってたまには使えるでしょ、行きたくない誘いとか、発作が出るからって断れるし』
山添『いやでもぼく周りに言ってないですもん』
有名人が負っている疾病や過去の壮絶体験などを披露することがあるが、それはPR=芸能活動の一環でもあり、ビジュアルと連立でもある。すなわち現実のPMSやパニック障害は同情をさそう見た目をしていないのかもしれない。
なおメンタルクリニックの女医役が(女優さんに罪はないが)鷹揚な感じを出そうとしていながら、たんに雑なだけでかなり外していたと思う。