河合隼雄 ☆133
オンデマンド授業にもやや飽きて、(余裕もあるので)YouTubeでウント下らないものから、養老孟司や河合隼雄の講演会なんかを手当り次第聞いている。
中には養老孟司が「河合隼雄」を語っている講演会もあって、その中で養老孟司が、「(余りにも沢山の知り合いが死んで行くから)ある時から、彼らは誰一人死んでいない事にした」と言っているのを聴いた。だから「河合隼雄」も彼にとってはまだ死んでいないのである。
養老孟司は解剖学者であり、今まで沢山の死体を解剖してきた人で、そんな経歴の彼だからこそ、人間が本当に死んでいるかどうかなんて誰にも分からないのだと言う、言葉には深みを感じる。
彼に言わせれば、生きている人と死んでいる人との区別も大差ないみたいに思えてしまうらしい。
どうせ自分ももうすぐあの世に行くのだから、そう考えたら死に別れた友を偲んで悲しみに暮れているより、どこかでまだ生きている事にした方が楽だし、それで良いのかも知れない。
河合隼雄の講演会は、物語に関する考察が面白く感じた。日本の物語、「浦島太郎」や「夕鶴」とグリム童話の違い、ケルト文化とキリスト教の関係、
疑古物語の「とりかへばや物語」「我が身にたどる姫君」の面白さについて、
「我が身にたどる姫君」は、鎌倉時代に書かれた平安時代の物語で、疑古物語と言うのは古さを偽っているという意味であるが、この言い方はおかしいと批判する意見もある。
成立は13世紀の頃なのだ。ある姫君が、山里にひっそりと匿われて暮らしており、
「いかにして、ありし行方(ゆくへ)をさぞとだに、我身にたどる、ちぎりなりけむ」(何とかして自分の生い立ちを知りたいと、苦悩し続ける運命なのでしょうか)と歌をよまれる。
彼女は自分が誰の子であるのかを知らないので、つまりアイデンティティを喪失していたのである。
そこから河合隼雄の話はネイティブ・アメリカンのアルコール依存症問題にとぶのである。
1959年カリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学し、ロールシャッハについて指導を受けたり、ネイティブ・アメリカンを教授と共同で研究していたのだが、
当時、紹介されたアパッチ族の人達の悲惨な状況を見て驚くのである。アパッチ族と言えばネイティブ・アメリカンの中でも勇猛果敢で有名な種族であるはずなのに、もはやその面影は失われていた。
彼らは一様に、無表情で、肥り、アルコール依存症の、みじめな状況だった。
河合隼雄に言わせれば、国からお金をもらい、仕事もしないで酒に溺れ、安いものばかり食べて無気力に生きるしかなくなっていた。
そのような中でもナホバ族だけは何とか独立しようと抵抗しており、ナホバ・ネイションを形成し、アルコール依存症の対策にしてもナホバ独特のプログラムを用意していた。
アルコール中毒の人に「酒を止めなさい」と言っても誰も聞かないから、「あなたのクラン(氏族)は、誰それだ」「彼はじつは貴方のお爺さんのような存在である」「彼女は貴方のお婆さんと同じようなものだ」と調べて教えてあげるそうで、
つまり、彼らがすっかり忘れていた人間関係を再構築して、アイデンティティを甦らせるのである。
自分が何者であるのかを悟ったクライアントは、もう以前のように酒に溺れなくなるのである。
そしてこのナホバのプログラムをアルコール依存症に苦しんでいる他の部族にも応用していたのだという。
興味深いはなしだが、今もこの手法が続けられているのかは分からないし、日本人に通用するかどうかも分からないが、何かのヒントになりそうな気がする。
さて、「我が身にたどる姫君」はじつは、皇后と関白が密通して出来た子供なのであった。
この頃のこのような姫君にはアイデンティティがどうしても必要なのであった。同時代でも男達はアイデンティティなどなくとも出世に奔走していれば、自分というものを確立出来ていたのだという。
男は仕事さえしていれば良かったのだ。これは、一見良いことのように思えるが、一旦仕事を失った男はアイデンティティを失い、脆くなってしまう。昔のように人生50年くらいだったらそれも良いが、長生きの現代ではなかなか辛いかも知れない。