ハイブリット

【主観による思い出話】

羽生結弦という一人のアスリートを考える時に思いつく二字熟語。
天才、秀才、努力、辺りが普通にすんなり出てきます。そこで私はいつも思う。
それぞれ独立した熟語二文字だけでは彼を語るには物足りないと。
そこで自分の容量の足りない頭脳でうんうん考えた末に辿り着いたのが〈ハイブリット〉という言葉。
つまり羽生君を語る時に思うのは〈天才+秀才=ハイブリット〉だと。

羽生君は天賦の才に恵まれた。人間関係にも。でもそこに胡坐をかく事は一度もない。寧ろ、天から「もっと苦しめ」「もっと悩め」「もっと足掻け」と言われ続けていたようにすら思うアマチュア時代でした。
生まれ持った柔軟性は長所でも短所でもありました。
私自身は長所にしか見えていなかったそれは、後に羽生君を苦しめた要因だったと知る事になりました。曰く、身体が柔らかすぎる為に、他の男子スケーターが難なくジャンプに成功した要領では自分自身は上手く跳ぶことができなかったのです。そういう事もあって、彼は誰よりも努力を続け、最高のジャンプ達とズッ友になれたのです。
人の倍どころか遠く及ばない時間を、そのジャンプをマスターする為に費やし続けた。

努力する根底には、自分自身の境遇が根底にあった。リンクの二度の閉鎖。いまある環境が当たり前ではないこと。いつまた失うかもしれないという危機感。だからこそいま在ることの感謝。いま出来る事を先延ばしせずその時に出来ること目一杯続けた。その姿は「まるで“修行僧”のようだ」と言われる程。

試合は大好きだったから余程の事がない限りは出場をしてきました。
出場が出来ない時は故障か病欠。その間、水面下で必死に足掻き続け、次の表舞台に出て来た時にはより一層パワーアップしている様に思える事が多々あった。水面下の努力を思うと涙なしにはいられない。――少し脱線しますが、それらを悪し様に罵るアンチにはその報いが進行形であるようにと日々思う次第――

羽生君は努力の人。同時に尽くす人でもあります。
そしてヒトを愛する人。
コロナ禍で人と人の接し方に物理的な距離が出来ました。スケートという競技では、コーチが帯同する事が当たり前だったのに、そしてそれは他の選手には当然の権利として行使してきていたことだったのに、羽生君自身はそれを良しとしなかった。コーチ陣のみならず、ファンである私達をも慮ったのです。
自分が試合にでれば国を跨いで自分を応援しようと多くの人が移動するだろう。そうなった時にその人々がこれまでどおり健康でいられるかが不確定。
最悪、命を失う危険性があると。だから自分は試合を辞退すると。そう、言ってチャンスを無に帰した事もありました。それは自分自身の思いよりも他者を優先した結果でした。
自分自身が決断した結果に彼は悔いる事はないでしょうけれど、その分、この結論に至る迄にどれだけの葛藤があったのかと考えてしまいます。
コーチのいるクリケに戻る事も出来なくなり、一人深夜に貸し切りのリンクで練習をする日々。孤独に圧し潰されそうになった時期を長く過ごしました。北京の大舞台でも彼だけが一人でした。
中国のボランティアのファンがそこかしこに居た事は事実ですが。
あの期間にどれだけの“悪意”と対峙してきたのだろうと思うのです。
彼は肌で感じ取ってしまう人。人々の心を。
どれだけ疲弊した日々だったでしょう。
その中であの結果。自分が信じていた世界に自らを連れて行くことが出来ず、それはいままで自分が考えていた結果を多数の人々にシェアする事が叶わないという絶望感に襲われていました。
彼自身はそうだったけれど、彼以外の人々にとっては、あの結果こそかけがえのないエールとなったのです。羽生君には信じ難い光景だったかもしれないけれど。

時と共に少しずつその事が理解できるようになって、自分自身の心も未来に向けて落ち着きを取り戻してきて、自分自身を解き放ってもいいのだと判断したのがあの一人でサブリンクで舞った時だったと考えます。
そこから数か月後のプロ転向記者会見。
末来が真っ暗で怖いと怯える心を抱きつつも、俯かずに歩みを進めた羽生君。

「僕なんか」と卑下した発言が少しずつなくなって、自分自身のYouTubeチャンネルも開設し、そのメンバーシップの中でも、未だ不安が拭えなかった羽生君が、まるで拾われた人間不信の野良猫が、少しずつ飼い主に慣れて来ていまではベロベロの甘えん坊に変化を遂げ、かつての姿が嘘のように思えるような、そんな経過を辿って、現在のメンシプで垣間見せてくれる羽生君はとっても甘えん坊さんです。
この間の姿を間接的にでも見守ってきたファンとしては感慨深い思いで一杯です。思い出すだけで涙が…。

そんな思いを、記憶を呼び覚ましてくれたのが『レンズ越しの羽生結弦』という本。作者は田中充氏。ファンの信頼厚いフリーの准教授の肩書も併せ持つジャーナリストです。
そしてこの本の主人公である小海途 良幹氏もまた、羽生君を熱烈に追いかけるに相応しい蒼い炎を持ったカメラマンです。
その二人のオンライン講演会が明日、開催されます。
多分感想を語らずにいられないと思うので、前振りのような思い出話をついついしてしまいました。

明日の講演会をとてもとても楽しみにしています。