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ぼくだけはブルー

そのとおり。



ここにはどうしようもない、救いようのない男の半生が書かれている。
彼も誰かの大切な人、親もいれば友達も多くいるし、これを書いている私自身の人格や性格を疑われ避難されるのも嫌であるから、どうか個人を貶めるような言葉は極力控えて書きたいと思う。


「ぼくだけはブルー」
志磨遼平の半生を綴った自叙伝である。バンド、ドレスコーズ唯一の固定メンバー志磨遼平。
和歌山で生まれ育ち、十代で上京、毛皮のマリーズとしての活動と、解散後に結成したドレスコーズとしての遍歴がまざまざと語られている。


神様がいるとしたら、彼は神様に挑戦をし続けているとしか思えない。

こんなことをしても、ぼくは許されるの?
こんなことをしたって、実は平気なんじゃないの?
ほら、ばちなんか当たらなかったじゃないか、ぼくは音楽を続けているよ。

なんて風に。


わざと危ない橋を渡っているようにしか見えない時がある。そんなことをしいても誰も分かってはくれないよ、あなたの望みのためにやるべきことはそんなふうにまわり道をしたり自分や他人を傷つけたりすることではないよ、人のためになにかをするというのは自分を曲げることではないんだよ、我を通すということは誰かを傷つけることではなくて誰かを傷つけるのにごめんねって言いながら我を通すのがよくないんだよ、何もケアできないごめんねは自己満足にしかならないんだよ、何も言わなければ何も伝わらなくて、勘違いをされてしまうだけだから、何も言わないのに伝わらないとか分かってもらえないなんて言うのは筋違いだよ。


こんな言葉はすべて雑音になってしまうんだろうな、もしくは路傍の石ころに過ぎないんだろう。

彼には彼にしか見えないものがあって、進みたい道があって、どうしても変えられない部分があって、そうして歩んできた道の先に今があるのだ。



まさにその通り。

きみだけがブルーなのだろう。






なんてひどい感想なのでしょうか。

自叙伝を制作する過程で志磨遼平本人は両親に対して反抗期だった頃の気持ちが蘇ってしまったそうだが、私も当時の記憶や気持ちが蘇ってしまったのかもしれない。
春には毛皮のマリーズの解散を決めていたのに夏フェスなどで何食わぬ顔で「また来年〜」と手を振って、9月に全国のラジオをジャックする演出のもと解散することとまもなく発売のアルバムタイトルが「THE END」だと明かされた。アルバム楽曲の中では既にバンドの終わりを悲しみ懐かしみ愛おしんでいるようだった。
のちに語られたことだが、メジャーデビューの段階で3枚のアルバムを作る構想があり、これがまさに3枚目のアルバムで、構想の通りではあったらしい。

とっくに決まっていた解散を伏せて「また来年」など期待をさせていたこと。自ら決めたことでありながら悲しむような楽曲ばかりのアルバムを作ったことにより、よほどつらい思いをしているであろうリスナーよりも先んじてめそめそとしているように見え、置いてけぼりにされた疎外感があったこと。
それらの経緯によって私はまぁまぁ腹を立てていた。解散ライブは武道館で仰々しく執り行なわれたのだが、行かないくらいには腹を立てていた。
既に決定していたことに対して、悲しみなんて何ひとつなかった。

アルバムは普通によい曲ばかりだし、解散ライブの映像も買って見たし、翌年すぐに活動を開始したドレスコーズの曲はとんでもなくかっこよかったし、メンバーが全員脱退し一人バンドになったのち2014年に発売されたアルバムのタイミングで、色々あって腹立ちはすっかり消失している。

書いている内に蘇った怒りがだいぶ落ち着きました。



それにしてもひどい感想である。本当にリスナーか。ファンか。厄介じゃないのか。反転アンチじゃないのか。

大丈夫です。悪口をまくしたててこの記事を終えていたら該当してしまうかもしれないけれど。

よい本です。グッズも素敵なデザインです。写真もめちゃくちゃ良い。ありがとうございました。見た目手触りなども色々と素晴らしいのですがそれはぜひ手に取って感じてほしい。






誤記があって改訂版が出たってよ!まったくもう!
(いずれ購入すると思います)




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