見出し画像

優しいってなんだろう。

自分で言うか?って感じだけど、私はかなり優しい人だった。
優しさのピークは高校生の時。
高校の先生からも、周りの友人からも「優しいね」と言われていたし(それ以外に褒めるところがないのかもしれない)、もっと自分に優しくしたほうがいいとか、もっとわがままになりなさいとか、何度も言われていた。


確かに優しかったが、それは自己犠牲的な優しさだったと思う。
自分が我慢して、相手を優先していることが多かったのだ。
(果たしてそれは優しいというのだろうか、とは思うが)




私が優しくなった(?)原因として、母がある。
気づけば母の顔色を伺って過ごして、機嫌を損なわないようにと思っていた。
常に、母の望む通り=優しくあろうとしていた結果、それが周りの人に対してもそうであるようになった。


でも、元恋人が自死してから、優しくすることをやめた。

元恋人が「優しすぎる。自分に優しく、嫌なことはちゃんと嫌って言うんだよ」と言葉を残したのだ。

そう言われて、「私、あれもこれも嫌だったんだ」
「嫌なのに、受け入れていたんだ」と気づいた。

上の方で「自分を優先している〜」とか、「優しすぎる」とか書いたが、実は元恋人に言われるまで気づいていなかった。
私にとっては、そうすることが当たり前だったから。

「自分に優しく」と言われてもその方法は分からなかったが、「嫌なことは嫌と言う」だけで自分に優しくできていると感じた。

今までの私の優しさは、「気遣い」のみになった。
自己犠牲はやめて、今の自分にできる範囲のことをすることになった。

無事、恋人の遺言を守れたかもしれない。




先日、現在の恋人には「わがまま」と言われた。

わがままになれたのかと、元恋人が言ったようになれたのかなと、ホッとする気持ちがあった。

だがしかし。

同時に、罪悪感もあった。

嫌なことは嫌と言う=母に反抗する悪い子になる。そんな罪悪感。
(中学の頃に「好きな食べ物は何」レベルの些細なやり取りの中で反対意見を言ったら、「反抗するなんて」「ヤンキーだ、悪い子だ」と強く言われたのが記憶に残っている。)
実際、実家に帰ると張り詰めた感覚が戻ってくる。


優しいってなんだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?