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読書記録「五十からでも遅くない」瀬戸内寂聴著
心に刺さる言葉が多すぎて、忘れないように記録します。
自由と淋しさを選ぶか、安定と、ごまかしを選ぶかは人それぞれの好みにまかすより仕方ない。
人は自分の体質や情緒の方向によって、自分にふさわしい生き方を選び、それがまちがっていたと気づけば何度でもやり直せばいいのである。
はい、今は安定とごまかしを選んでいます。
色んな事を突き詰めてしまうと、きっと家庭は壊れていく気がします。
寂聴さんの言葉を借りると、自分をごまかしなだめなだめ、家族のごまかしを大目に見て、のどかに淋しい想いもせず暮らしていける性格かもしれません。今のところ。
女はいくつになっても美しくありたい。鏡をのぞくのは、自分のためでもあるし、人に不快感をあたえないためでもある。
分かりました。鏡の数を増やし、のぞく回数を増やしたいと思います。
ぎょっとする瞬間が増えますが。
中年の女は、もう、素顔でははずかしいし、安物では、うらがなしい。
「うらがなしい」というお言葉にハッとしました。
そうなんです。ユニクロのフリース、今年でやめます。
誰かが何かをごまかし、あるいは知っていて目をつぶり、あるいはあきらめ、誰かの犠牲の上に成り立っているのが家庭である。そのことに気づかないのは、本気で自分の内心や、夫や子どもの心の底へ入っていったことのない主婦の鈍感さと怠慢さである。
自分の内心、夫や子どもの心の底。入っていくのは勇気がいりますね。
しばらくは、一人、思いを巡らしながら、いろんなところを歩いてみたいと思います。
中年女の淋しさにつけこむ情事
多くの場合、男は女が真剣になればあわてふためいて背を向ける。
~中略~
女はいくつになっても新しい靴をはいてからでないと、旧い靴は捨てないものだ。男は情事ととらえ、女はそれを恋愛と思いこむところに破局がたちまち訪れる。他人には見えている破局の相が、当人には見えない。
いくつになっても恋は女を盲目にする。
真の孤独地獄はその時から始まる。
寂聴さんはいくつになっても恋をしろ、恋する女性は美しい、と説きますが、
その後の恋の結末に関しては手厳しい。
性や肉欲を伴わない、精神的な恋をせよということでしょうか。
全てを捨てる決意がないのなら。孤独地獄に耐える決意がないのなら。
それにしても孤独地獄ってすごい言葉ですね。
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