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続いていく当たり前に。

話す、そして、聞く

人と話す機会がこのところわりと多い。
コロナに巻き込まれてから、「話す機会」は
私にとってとても限られた貴重なものとなった。
話すことは好きだ。聞くのも好きだが。
日常よりも多く人と話をした帰り道、今日は話すことのほうが
多く、私は相手の話を聞くことが出来ていただろうかと
いつも振り返る。そしてだいたい、話しすぎたなと思う。

当たり前だから、気付かない


日頃、色々と、頭の中に浮かんでは消えていく感情の
ひとつひとつを言葉にして発することはまずない。
そんなことをしていたら目の前の仕事が片付かない。
しかし、人と話す時、そういう日常の中から沸き上がった感情を
改めて言葉にしてみると、これが面白かったり、だいたいは、
新しい発見があったりする。
そして、気付く。当たり前の日常は、案外、満たされていることに。
瞬間的に生まれる怒りや悲しみは、振り返ってみるとあまりに
ちっぽけで、それ以上に、自分自身がすごく良い環境に身を
置いていることに気付くことが出来る。

言葉にすることの大切さと


「YouTubeを見て、自分のやりたいことに没頭している人を見て、
私は一体何に縛られて生きているんだろうかとはっとした。私も
やりたいことを精一杯するしかないと、改めて気付いた。」
改めて言葉にして相手に伝えると、自分自身の中に生まれた感情は
全く特別なものではなく、わりと当たり前に抱く感情であることを
人と話すことで学ぶ。私は、勝手に人とは違うとか決めつけることが
多いけど、全くそんなことはない。自分が特別な存在でありたいとか
不意に沸いてくる野望なものは、勝手に疎外感を、壁を、作り出して
いただけかもしれない、ということに気付く。

全てが当たり前とは思わない


当たり前に日常を送ると、実は幸せが周囲にいっぱいあることに
何とも思わない。いや、別にそれが良いとか悪いとかっていうわけ
ではない。よく言う「価値観の押し付け」ほど、嫌悪感を抱くものはない。
赤信号でいつも歩いている道をいったん止まれば、今日は太陽がいちだんと
暖かいことにふと気付く。皆に平等に降り注いでいる日差しは、少なくとも
雨雲よりも、ちょっとだけ、気持ちさえ晴れやかにしてくれる。当たり前
こそ、まだ気付いていないものがたくさん隠されているのかもしれない。
ないものねだりも別に良いが、今の場所も、案外、悪くない、いや、全然、
良い。そんなことに気付いたのは、人と話す機会があったからだな。
こうやって、人と話すことが、その場だけで終わらず、色々な意味を持って、今日も明日も続いていく。やはり、人と関わることは、ちょっとだけ、
おもしろい。1人も好きだけど。

#最近の学び

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