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ゴーストトロピック/かつて娘だった私の横顔


ゆっくりと暮れていく部屋が映される、生活感がありながらも程良く整えられていて居心地の良さそうな部屋だ。
そして呟くように重なるモノローグ。

これが私に見えるもの、聞こえるもの全てー
新しい私たちが見える。疲れていない私たちがー
この膨大な空間を私たちの人生で埋める、骨の折れる作業だー
誰か見知らぬ人がこの部屋に入って来たとき、何を感じ、何を聞くだろうー

私は恥じるだろうかー

暮れていく街並みにぼうっと浮かぶタイトル。
良い映画が始まる予感に胸が静かに高鳴った。

hereを見た時も感じたけれど、私はこの監督の詩的なモノローグがとても好みだ。

夜遅くまでの仕事を終えて電車に乗り込んだ主人公のハディージャは寝過ごして終点まで来てしまう。娘の留守電にメッセージを残し、仕方なく夜の街を自分の家まで歩き出すところからストーリーは始まる。

夜警のガードマン、ホームレスと犬、
ガソリンスタンドの店員、不法移民らしき青年、、。
それぞれの故郷からやってきたであろう人たちが、夜の街で静かに、でも確かに日々を重ねている。
彼ら、彼女らと時に拙い言葉を交わし合いながら、そしてささやかに助け合いながら彼女は家路を進んでいく。

ハディージャ自身もヒジャブを纏った出立から想像するに異国からやってきたのだろう。
映画を見て初めてベルギーが移民大国であることを知った。
映画はいつも私の知らない世界をさり気なく広げてくれる。

家も近くなってきた所で偶然にも娘の姿を見つけるハディージャ。
声を掛けようとするが、男の友人といることに気付き、娘を陰からそっと見つめる。

初めて見る娘の横顔を複雑な表情見つめるハディージャ、そしてそれを映画館の椅子に沈み込みながら見つめている私は、とんでもなく胸がきゅうっと掴まれていた。

かつて17歳の娘であった私と、今母になってまだ間もない私、その2人が心の中で立ち上がり、じっと見つめ合っている。
母として取り残されたような寂しさを感じたその刹那、同時にひとりの人間として歩み始めつつある娘をとても美しく思う、幸せに似た気持ち。
私も17歳の時、あんな横顔をしていたんだろうか。
いつかの娘だった自分、母になった自分、そして自分の娘の横顔、様々な残像が巡り交差して、夜の闇に優しく溶けていった。

家に帰りつき、ベッドに横になったのも束の間、彼女はまたヒジャブを纏い仕事に出る。
鏡の中の自分に微笑んで。

明るくなっていく部屋が映される。
そこに彼女の重ねてきた生活が見える。私はそれを美しい、と思った。

エンディングの光が溢れる中、彼女の娘がいる場所もまた同じように美しかった。
母の重ねてきた時も、娘が重ねていく時も、どちらも同等に美しい。それで良い。
母は娘であったし、娘はいつか母になるのかもしれない。

この世界に息づくそれぞれの人の横顔。
重ねた時が形づくる街。
それがとても愛しく感じる優しい映画だった。





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