048.奈良-平安時代のインセンティブ給与の仕組み
そんな厳しい状況でありながら、反故にされる用紙の率は、最悪の人でもわずかに2.5パーセント、なかには195枚の大般若経を書写して1枚も反故を出さなかった写経師もいたそうです。神経を使う作業に従事して、集中力を長時間継続できる質の高さは、現代なら高度技能者、現代の名工ということになるかもしれません。
高い能力を求められながら、決して高給というわけでもなく、こんなに厳しい条件にもかかわらず、写経師が常にいたということは、あるいは、写経師が役所勤めや、寺社での出世の登竜門になっていたというような状況があったのかもしれません。
前出のように大井重三郎は、1日、7~8枚が妥当なところと書いています。写教師の生活レベルはどのようなものだったのか、現代風な家族構成で考えれば、サラリーマンなら中堅サラリーマン~係長クラスというところかもしれません。
写経師になるには、なによりも学問が必要であり、その意味で、特別な選ばれた職業、エリート中のエリートです。ここから役人への道があったとしても、こんなに厳密に作業が管理されていたということに、驚きます。
前掲の論文で大井重三郎は、
「元来、写経師は達筆を要求されるのは当然であり、かつ作業は綿密慎重を要した。・・・能書は当然であるがやはり過酷な労働であった」(前掲③『奈良町末期写経師の実態』園田学園女子大学論文集1)
と書いています。
一冊の経典の文字を統一するために、同一人が一冊の最初から最後まで手掛けたのでしょうし、一冊から何冊かを写経するなら、同一ページを続けて書いた方が効率はよいが、そんなやり方もしていたのか、などそんな余計なことまで頭に浮かびます。
それにしてもこの品質とスピード、とてもいまの事務作業の標準時間には採用できません。たとえ役人への登竜門としても、どれだけの人間がこんな過酷な作業にたえられるか、応募者を探すことも難しいのではないかと気になります。誤記すると報酬から天引きされる仕組みなど、現代ならばブラックと指摘されるのではないかと思います。
これが西暦700年~800年の奈良時代、平安時代に行われていた、プロ中のプロ、高度技能を持つ専門職・写経師の仕事ぶりであり、賃金算出の仕組みです。厳しいとはいえ、疑問の余地のない明解なインセンティブ給与の算出法ではありませんか。
源氏物語が生まれるはるか以前の、時計もなく「時間の計測」さえ一般的ではなかった時代に、これだけ細かな数値を基礎にした作業管理と出来高の管理が行われていたのです。
こうしたものを見てみると、むしろ、私たちの先輩は、意外と数値を使ってものごとを管理していたのではないかという想像も生まれてきます。