Orgasm of the Living Dead ③ 「女教師」
龍彦は、みんなが逃げ出したあとも、一人教室に隠れていた。
彼は、慎重過ぎるほど慎重であった。いたずらに動くと墓穴を掘ると第六感が告げていた。
だが一番の理由は、圧倒的な恐怖が龍彦を支配していたからに過ぎない。
しばらくの間聞こえていた、激しい怒声や悲鳴や泣き声はすっかり聞こえなくなっていた。
龍彦は家族に電話をかけたが、誰にも繋がることはなかった。
クラスや学年のlineグループに安否確認の書き込みをしたが、誰も反応してくれなかった。
そして、外との繋がりを求めて、必死にスマホで情報を集めた。
市内では、理性を失った暴漢が次々に市民を襲い、その肉を食らうという事件が大量発生していた。
襲われた市民は亡くなるか、襲う側に回るかの二つの道しかないようだ。
その分かれ目は未だ判明していないが、暴漢は増える一方だ。
暴漢に対して、警察は発砲を行っているようだけど、全く効果がないようだ。
彼らの行動と結果は、いわゆるゾンビと言われているものと酷似しているが、暴漢自身が死者だという確証もない今、いつの間にか彼らは、「不死者」と呼ばれるようになっていた。
先ほどの惨劇を見ると、彼らは映画で見るゾンビそっくりだった。
普段の彼らは老人のようにノロノロと移動している。
しかし、「エサ」を目の当たりにしたときの彼らの動きはとても素早い。
そしてそのような人々は今、加速度的に増え続けている。
各地で暴れる不死者の画像や動画が次々にアップされている。
もはや市内の枠を超え、県内全域に広がっているようだ。
だから、学校の敷地の外も、不死者で溢れていると考えるほうが自然だ。
SNSでは、不死者が発生した原因について盛んに議論されているけど、真実は未だ不明だ。
不死者は、嗅覚と聴覚が異常に高まっていると主張する人もいる。
不死者には、帰巣本能があると書き込む人もいる。確かに、聡一朗先生は学校に戻ってきた。
ネットでは、大量の情報が乱れ飛んでいるが、何一つとして確かな情報はない。
確かなのは、現実に大量の不死者が街中を徘徊しており、人々は家に閉じこもり、彼らに遭遇しないよう息を潜めているということだ。
生徒の声はすっかり聞こえなくなったけれど、時折、窓の外から、唸り声ともうめき声とも分からない野太い声が聞こえてくる。
龍彦は恐怖に怯えながら、一人考えを巡らした。
『なぜこんなことになった?家族はどうなった?助けは来るのか?どこに逃げればいい?
ここは安全なのか?どうしたら身を守れる?僕の格闘技なんて役に立つのか?
怖い。嫌だ。死にたくない。誰か助けて。』
龍彦は2時間あまりを震えながら教卓の下で過ごし、スマホの電池が切れかけていることに気づいた。自分と社会をつなぐたった一つの手段が消え去ろうとしている。
龍彦は、SNSに助けを求める投稿を繰り返した。
しかし、反応は冷淡なものばかりであった。
「かわいそうだけど、どうにもできないよ。状況はみんな同じ。自分でなんとかしな。」
「頑張れ~!応援してるよ~!死んでも不死者になんなよ~!」
「アホですか?なんで危険を冒してお前を助けにいかなきゃならんの?」
深い絶望感に打ちひしがれた龍彦は、ついに自分で行動を起こすことにした。
まずは校内の状況を探るため、3階の教室を恐る恐る見て回ったが、もぬけの殻だった。
そして、2階に降りようと階段に向かうと、おびただしい数の遺体が踊り場に積み重なっているのが見えた。
その遺体の山の中の、首が不自然に捻じれた女子生徒の見開いた目と目が合った。
それは隣の席に座るお調子者の加藤静香だった。
龍彦は息を呑み、膝が崩れ、その場にへたり込んだ。
胃液がこみ上げ、何度も吐き続けた。
しばらくの間放心状態で震えていたが、なんとか気合を入れ直して立ち上がった。
龍彦は、遺体を拝みつつ、何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」とつぶやきながら、その山を乗り越え、2階の2年生のフロアにたどり着いた。
そして、聡一朗たちに遭遇しないよう、慎重に教室を見て回った。
心臓が激しく鼓動し、汗が額を伝う。
しかし、どの教室も、やはり人気がない。
最後に、2年8組の開けっ放しの入口から中を窺うと、教卓の辺りから小さくカタンと音がした。
龍彦はぎょっとして慌てて廊下に引き返し、もう一度中をそっと見ると、教卓の下で誰かがこちらを窺っている気配がした。
「誰かいますか?」勇気を振り絞って、囁くように問いかけると、
「龍彦君?」小さな声が聞こえた。
教卓の下からそっと顔を出したのは、教師の佐藤亜由美だった。
亜由美は、昨年大学卒業後に採用された24歳の英語教師だ。
帰国子女の彼女は、スタイルの良い170㎝の長身にショートヘアがよく似合う、女子生徒が憧れる存在だ。
龍彦と亜由美は、馬が妙に合った。164㎝しかない龍彦は、みんなから凸凹コンビと呼ばれ、日頃から冗談を言い合うような仲の良さだった。
そして、龍彦は密かに亜由美に恋心を抱いていた。
亜由美は、教卓の下から汗でびっしょりになった大柄な身体を半分ほど出すと手招きをした。
白いブラウスが汗で大きな乳房に張り付き、龍彦は目のやり場に困ったが、素直に近くに寄った。
汗の匂いと入り混じった香水の甘い香りが、一瞬だけ恐怖を忘れさせてくれた。
亜由美は、目を潤ませながら龍彦の手を取った。
「よかった!龍彦君、無事だったのね。もう誰も残っていないと思っていた。龍彦君はどこにいたの?」
「僕は、3階に隠れていました。3階にはもう誰もいません。この階も他には誰もいませんでした。
2階に不死者は上がって来なかったんですか?」
「不死者って?」
「今、ネットでは聡一朗先生のような人たちを不死者と呼ぶようになっています。」
「そうなんだ…。聡一朗先生たちは、階段の御遺体が邪魔で、ここまで上がって来ないんだと思う。」
「1階はどんな様子だったんですか?」
「不審者が校内に侵入したという一報を受けて、聡一朗先生が他の先生たちと様子を見にいったの。でも、先生たちもやられてしまって…あんな姿になったの。聡一朗先生は、侵入者と一緒に職員室の先生と1年生を襲い始めたけど、私は、逃げるのに精一杯で、どうすることもできなかった…。」
亜由美の瞳から大粒の涙がボロボロと落ちた。
「亜由美先生…。」
龍彦は、かける言葉が見つからず、亜由美の肩にそっと手を触れた。
汗に濡れたブラウスの感触が妙に艶めかしくて、龍彦はどぎまぎさせられた。
「ごめんね…。私がしっかりしなくちゃならないのに。」
亜由美は、泪を拭うと、気を取り直してまた話し始めた。
「聡一朗は、校庭で1年生たちを襲ったあと、学校に戻ってきたの。」
「僕も3階で見ていました。それを見て、みんながパニックになって逃げだそうとしたんです。」
「私は、2階まで逃げて、2年生たちを落ち着かせようとしたけどダメだった。3階からも、次々に3年生が逃げてくるし、あとは地獄だった。気がついたら私一人だけが2階に取り残されていた…。」
亜由美は、顔を両手で覆った。
「今も、聡一朗が生徒たちを殺し回る姿が頭から離れないの。」
いつの間にか、先生という敬称が外れていることに二人は気付かなかった。
龍彦がしばらくその様子を見守っていると、亜由美が不意に顔を上げた。
「龍彦君、ここに隠れていてもしようがないわ。非常階段から外に逃げよう。」
生徒を助けるという使命感が、亜由美の心を再び奮い立たせた。
「外もここと状況は変わらないはずです。ここで助けを待つのは?」
「救助が来るなんて思えない。1階にはまだ彼らがいる。食料もない。体力のあるうちにここを出て、安全な場所を探そう。」
二人は非常口を目指して、辺りを警戒しながら中腰になって、廊下を歩き出した。
亜由美の背中に隠れるように、龍彦がついていく。
タイトスカートにローヒール姿の亜由美はとても歩きにくそうだ。
こんなときなのに、龍彦の目は亜由美の丸い尻にくぎ付けになっていた。
途中で階段の辺りに差し掛かったとき、1階から人の声とは思えぬ咆哮が響いた。声からすると何人かいるようだ。
「やっぱり、まだいる…。」
亜由美は小さく呟くと、恐怖に震える龍彦の手を取り、さらに慎重に歩を進めた。
時間をかけて非常口までたどり着くと、内鍵をカチャリと開け、音を立てないように扉を開けた。真夏のムッとする熱風が二人の頬を打った。
亜由美は非常階段に出て辺りを確認したあと、龍彦に手を差し伸べた。
非常階段に出た二人は、手を繋いだまましゃがみ、しばらく様子を窺った。
敷地内に誰もいないことを確認し、階段を降りようとしたそのとき、校舎の死角から聡一朗がぬっと姿を現した。
驚いた亜由美が後ろに一歩後ずさり、ローヒールの踵が非常階段をカツン!と鳴らした。
その音に反応した聡一朗が、ゆっくりと二人の姿を捉えた。そのまましばらく考え込むように動きを止めていたが、突然「ヴァアアー!!」と叫ぶと、猛然と非常階段に向かって突進してきた。
二人は、恐怖に身をすくませながら、また校舎内に逃げ込み、非常口からできるだけ離れた教室に飛び込んだ。
隠れる場所は、教室の片隅にある小さな掃除用ロッカーしかなかった。
二人は、中に入っていた掃除用具を慌てて外に放り出した。
亜由美は、龍彦をロッカーの奥に押し込み、続いて龍彦を守るかのようにその前に立ち、扉を閉めた。
雑巾の臭いが充満している、薄暗くて狭い、熱気がこもる掃除用ロッカーの奥で、小柄な龍彦が大柄な亜由美の背中にしがみついた。
離れた教室から、総一郎がガチャガチャと机やいすをなぎ倒しながら二人を探している音が聞こえてきた。
その音が次第に近づいてくるのが分かった。
そして、とうとう聡一朗が二人の隠れている教室に入ってきた気配がした。
(続く)
※ 時系列的にはプロローグに繋がります。まだお読みでない方はこ
ちら
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