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6期鬼太郎が嫌いな理由(ネタバレあり⚠️)

このタイトルを見て不愉快になる方々もいます。読みたくない人は読まなくてい良いです。世間?(ネット社会)では好評のようですが、原作や今までの鬼太郎アニメをみた自分にとっては理解し難いことで、鬼太郎の良さを壊した原作クラッシャーのようにみえました。悪く言えば黒歴史でしょう。しかしキャストの方々には批判しませんし、右翼左翼などの政治思想は有りません。初めての記事なので多少粗いところが見られます。ストーリーとキャラクターを中心に5つ説明します。


 異常な美男美女やオリジナルキャラクターの押し 

 今までの鬼太郎アニメは鬼太郎ねずみ男目玉親父の三人が主要で、原作でも三人の視点が欠かせませんでした。 

 ところが、この6期鬼太郎は犬山まなや猫娘、アニエスとアデル、石動、名無し、カーミラ、ヴォルフ、怪物ではないショタコンフランケンシュタイン博士、美琴などの美男美女やオリキャラなどの特定のキャラばかり依怙贔屓するような描写が目立ってしまい、そのせいで鬼太郎やねずみ男やなどの妖怪たちや美形ではないモブキャラたちがゴミのように描かれて、胸糞悪くなった。

 5期鬼太郎アニメでは萌え要素や当時の流行やグッズが取り入れているが、それでもカワウソやアマビエ、呼子、シーサーなどのモブキャラたちが公平に扱われ、蒼坊主などのオリキャラたちは鬼太郎たちの人気を横取りしないように配慮してた。ガラケーの付喪神がいてスマホよりも役にたった。

引用:「妖怪大百足」 シーサーは鬼太郎たちの人気を横取りししないように配慮してた。


 別に犬山まなや魔女姉妹が嫌いというわけでは無い。そんなにオリキャラたちの活躍を描きたいなら、最初からオリジナルアニメを作れば良いと個人的に思う。 

「河童の三平」や「夏目友人帳」、のように色んな妖怪と交流して成長する話にすれば、水木プロにとっての新しい挑戦になると思う。2023年放送のリコが主人公の新ポケモンアニメが理想的。

 キャラクターの改悪

  • 目玉親父の妖怪の知識に詳しいというのが売りなのにそれがなくなった。

  •  八頭身キャラになった猫娘には正直違和感があった。これじゃあ鬼太郎とアンバランスになるのではないかと。そのデザインは墓場鬼太郎のヒロイン寝子をモデルにしたんだと主張するコメントが見かけたが、それをアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」にふさわしいかどうかは別だと思う。ねずみ男のポジションを奪った彼女には同情できない。

  • 鬼太郎の身内びいきで人間妖怪問わず他人に無関心な態度には心底不愉快だった。自分の好き嫌いを基準で敵味方と決めつけて力ずくでやっつける行動には不愉快に感じた。一方的な主義主張を相手に押しつける言動のせいで胸糞悪くなり、擁護や共感ができなくなった。鬼太郎の言動に一貫性が無いため嘘太郎になってしまった。

  • ねずみ男の改悪が一番最悪と断言する。原作や5期までの鬼太郎アニメは鬼太郎のそばにねずみ男がついていた。少なくとも腐れ縁のような関係だった。それなのに6期では鬼太郎どころか子泣きじじいや砂かけ婆などの鬼太郎一家一人もつるむことなく一人行動が多くなった。自己中が目立ってしまい、金のため手前可愛さのために鬼太郎やその仲間を裏切ったり、犠牲にしたり、敵のカーミラとグルになってゲゲゲの森の妖怪たちをそそのかして皆で魔女一人を誹謗中傷や迫害するなど、庇いたてができないほど胸糞悪さを感じた。(そのせいで全ての妖怪の印象が胸糞悪くなってしまった)それなのになぜ鬼太郎はそのねずみ男に制裁しないのか不思議に思った。

  • 朱の盆は3期から準レギュラーとして活躍した。ぬらりひょんの側近だけどドジったりマヌケなところが彼の魅力だった。6期では有能キャラというかずる賢いキャラに変わってしまって、そのせい感情移入ができなかった。

  • バックベアードの人間型や1000年ぶりという台詞に疑問があった。1000年前という資料はどこにあったのか。人間型にしなければいけない理由があったのか?脚本家がいい加減な気持で台詞を書いたのならストーリーやキャラクター設定が下手すぎる。

  • 犬山まなはオリジナルキャラにも関わらず、鬼太郎よりも好待遇して、まるで聖人君子か完全無欠のスーパーマンのように描かれたため感情移入ができなかった。

  • 悪魔ブエルに至っては、妖怪よりは上と豪語するプライドが高い悪魔なのに、6期ではバックベアードの手先に成り下がってしまった。

  • フランケンシュタインは原作や5期までのアニメは怪物だったが、6期ではショタコン受けのキャラに改悪した。

  • すねこすりは人を転ばせるだけの小さな妖怪。それを人の生気を吸う凶悪な妖怪に改悪した

引用:「悪魔ブエル」


矛盾だらけのキャラクターの言動

  • 最初鬼太郎の台詞で「人間と妖怪は共存しないほうがいい」といったのに、最終回では「人間と妖怪の共存のために戦った」というセリフには矛盾が生じた。なぜなら主人公たちが起こしたバトルイベントや事件のために人間妖怪問わず無辜な犠牲者や被害者がでているのにその追悼や謝罪や後始末をしなかった。火車による死体強盗だってその死体は返さなかったし、その犯人である火車を逃がした。バックベアードの幹部もそうだ。幹部たちにとどめを刺さずに逃がしたから、後で余計被害や事件が増えたのではと思った。はっきり言って詰めが甘すぎる。だからそのセリフには矛盾があった。他人に無関心過ぎるように見えた。終わりよければ全てよしでは済まされない。偽善者が多いのアニメ。

  • ねずみ男の二転三転の裏切りには擁護ができない 。金のために手前勝手のために仲間や他のキャラを犠牲にしたり裏切ったりするのに、何故か死んだ鬼太郎のために弔い合戦をおこすのか理解できない。自ら第二次妖怪戦争を起こした張本人の一人なのに、鬼太郎復活後、急に反戦側に鞍替えした言動が中途半端で、コウモリ野郎みたいにみえた。

  • 第二次妖怪戦争前夜 総理に説得しに行く鬼太郎になぜ一人で行かせたのか疑問に思った。猫娘をはじめ鬼太郎一家やまなもゲゲゲの森の妖怪たち一人も彼と同行しなかったのかおかしいと思った。結果的には仲間が鬼太郎を見殺したように見えたから。

  • 邪魅はもとより6期朱の盆にそそのかされて金を受け取ったから二次妖怪戦争をおこす引き金になった。ところが鬼太郎が復活した後それが彼にとっては不都合なのか分からないが「妖怪の名誉のため」と抜かして戦死した。責任逃れのような最後で一貫性がなかった。じぁなぜ西洋妖怪や九尾狐などの敵との戦いには参戦しなかったのか?

  • ぬらりひょんは途中で登場したので多少矛盾が生じた。行動原理は妖怪のためであるがなぜバックベアードたちを騙し討ちするかのように毒殺したのか理解し難い。そのせいでバックベアードが暴走して世界を滅ぼしかけた。そのリスクをぬらりひょんは予想してたのか不明。

  • 名無しの正体が生まれる前の鬼と人間のハーフだってことはわかったが、この世に産まれてないのになぜ人間妖怪を影から傀儡(くぐつ)のように操れるのか不自然に見えた。

  • たぬき軍団やバックベアード軍団や名無しや九尾狐が日本に侵略した時、なぜ山爺や烏天狗たち、6期限定善玉白山坊などの強い妖怪たちが鬼太郎たちに助太刀しなかったのか?

  • 女性総理大臣はたぬき軍団やバックベアード、九尾狐のような妖怪たちには手も足も出ないほど情けない小物に描かれてたのに、何故か最終回では人間の名誉ために戦うと言って大物ぶって二次妖怪戦争を起こした責任を逃れんかのような最後で戦死した。その描き方が女性蔑視のように見えた。

  • まなが鬼太郎復活のために2年間の記憶を犠牲にした場面だが、まなは猫娘しかベッタリと付き合っていて、鬼太郎との交流が極端に少ないのではと思った。困ったとき鬼太郎を頼るから彼を道具か最終兵器のように扱ってるのではと思えた。それ以前に猫娘と魔女アニエスしか付き合って無いから、他のははどうでもいいのではと見えた。

  • 第二次妖怪戦争の際、今さらながらアデルアニエス魔女姉妹や石動と鬼が現れて、その戦争の様を他人事のように語る場面には違和感があった。そういう彼らだって、人間妖怪問わず無関係なキャラに被害を与えたのに人の事を言えた義理ではない。

  • ぬらりひょんとコネをもった政治家がいたが、総理大臣はそれを把握してたかどうか不明。その政治家が最後どうなったか不明。

  • 現在の火車は体力が無い割にはなぜ街と山小屋を素早く往復できたのか?妖怪が見える見えないの基準はどうなっているのかなどの数え切れないほどの矛盾やご都合主義が多い。


 相反するテーマとメッセージ

  この6期のメッセージは多様性とコミュケーションの大切さを訴えてると語っている。同時にテーマは現代社会と人間の闇を批判している。そのせいでメッセージとテーマが相反してると著者自身そう見える。

  1. 6期での女性総理大臣の無能ぶりや無惨な女性のすがたが多く描かれてる。そのため多様性が見えなくて女性蔑視や他人の不幸や悲劇を喜んで出るかのように見えた。逆に石動や迷惑系YouTuberでも美男子であれば擁護するような描写が見られた。

  2. コミュケーションの大切さを伝える割には人間妖怪問わずまともにコミュケーションが取られてない。特に鬼太郎の相手に寄り添わない正論には胸糞悪かった。

  3. 美男美女やオリキャラばかり依怙贔屓して、それ以外のねずみ男のように人間妖怪問わずモブキャラを胸糞悪いほどゴミ扱いをしたため多様性が見えない。

  4. 現代社会や人間の闇を批判するため、鬼太郎やねずみ男たち妖怪たちを空気のように無視して、胸糞悪いストーリーやモブキャラが多くなった。なぜか犬山まなのような美形キャラだけ一点の曇りがないかのように依怙贔屓した。作品自体露骨な人間下げ政府下げが異常さを感じた。

  5. これらの理由で多様性やコミュケーションの大切さが見えない。その代わり必要以上に胸糞悪いストーリーや作風が目立った。

原作や今までのアニメにあったストーリーと良さを捨てた6期鬼太郎

 現代社会やその人間を叩きたいがために、原作や5期までのアニメにあったストーリーや良さ捨てたのは残念に思った。6期作中ではやたらとスマホ、インターネット、ユーチューバー、ドローン、働き方改革、外国人を使った違法労働、反戦、ポリコレ、萌えキャラなど今日の流行りや時事ネタを多く取り入れ若い子に意識しすぎたため、まるで話題狙いの一発芸のような作品ができ上がってしまったのではと思う。原作や5期までの鬼太郎アニメでは海外が舞台になったエピソードがあったが、6期は日本限定になってしまったせいで世界観が狭くなった。妖怪たちの出番を減らした時点で多様性とは言えないのでは?八割以上アニメオリジナル要素が多い気がする。原作にあった自然の大切さや、時代の流れについていけない妖怪たちの話を描かれてない事も失望した。

総括

 まだ矛盾点が多いがきりがないのでここで区切らせる。ここまで読んだ読者には感謝したい。中には不満を持つ者がいると思う。「お前は今のアニメが分かってない」「6期鬼太郎の良さやメッセージ性が分かってない」「社会風刺や人間の闇を扱ってるんだ」「胸糞悪いと思うほど多様性を訴えてるんだ」「全話見てから言え」「原作を重視してる」「政治批判を扱ったんだ」「命の大切さを伝わってるんだ」。いくらなんでも他人と意見が違うからそのコメントを否定したり相手を叩いた時点で多様性と言えるのか?作中に描かれてるように女性蔑視や無惨な女性の場面などの他人の不幸と悲惨さや、胸糞悪い場面が多すぎるため、メッセージ性を見つけんがために視聴続けると辛くなるばかりで全く楽しめないし、視聴後モヤモヤが続いてしまう。「ザマァミロ」と言わんばかり他人の不幸を喜んでるかのような描写に見えた。社会風刺や政治批判にしても肝心の鬼太郎やねずみ男からの視点が描かれてないため彼らに感情移入ができなかった。それはテーマ性を優先したため、肝心なストーリーやキャラクター設定、原作が崩壊したのではと見える。しつこいほど「胸糞悪い」「改悪」「矛盾」「依怙贔屓」「庇いたてができない」「一貫性がない」「感情移入ができない」と思うのはそのせいだと。ウィキペディアでこれを見つけたとき自分には信じられなかった。2020年6月1日、放送批評懇談会により発表された第57回ギャラクシー賞にて、テレビ部門特別賞を受賞した。いくらなんでもギャラクシー賞が受賞したらと言って 周りが手放しで褒めても、6期自体子どもにおすすめできるわけではないし、子ども向けとは見えない。視聴後子供がスッキリするかどうか分からない。素直に6期鬼太郎を楽しむ子供がいるのか疑問に思った。これを観た子供が将来トラウマをおこしたり、反政府反人間主義に染まったり、他人の不幸を喜ぶ人間になるのではと心配してしまう。
 放送当時、漫画や絵本、小説などの子供向けの関連書籍が見かけなかったが、放送終了の2〜3年後なぜか子供向けの書籍を販売したのが矛盾に思った。東映か水木プロの意向なのか知らないけどマーケティングがおかしい。
 なぜそれを疑問に思ったのか。世間とズレがあるのではと考えた。しかし偶然新人。さんの記事を見てその考えを改めた。


 他者視点の欠如
 自分の世界だけが存在し、他者は自分を成長させる理由付けとなる壁であり、自分をより良くするための踏み台で、痛みや苦しみを与え、自分たちを否定してくる他者は存在しない。あるのは、魔族=敵という一方的な敵意のみ。そのようなセカイ系やなろう系ではスタンダードである、味方にはどこまでも肯定的で、味方以外は自分たちを理解してくれない敵であり、攻撃的な態度をとっても相手が悪いのだから仕方がない。というような文法で構築される本作になろうファンタジーとの違いはどこにあるのだろう。

引用:「葬送のフリーレン」は、オタクに処方する麻薬である 。


 これを見つけたおかげで目からウロコが落ちた。新人さんには感謝している。他にもインターネットで調べたらこんなものがあった。
https://tohyotalk.com/question/14292/page/134

  

これらをみて失望した。

いくら原作者が亡くなったから、好き勝手に社会政治思想を上書きして、キャラクターの改悪など許されるわけではない。「セクシー田中さん事件」の二の舞いである。6期製作陣や水木プロの行いは、聖書の書き換えであり、戦後日本での墨塗り教科書と同様である。中世ローマ=カトリック教会が行った宗教弾圧や異端審問のように見えた。6期製作陣や水木プロは6期鬼太郎が唯一無二のように扱い、原作や1期から5期アニメや墓場鬼太郎などの以前の作品を外伝か邪道扱いにした言動に理解できなかった。人間妖怪問わず殺され傷つけられた様をみると「ははは、見ろ!まるで人と妖怪がゴミのようだ!!はははははは」と言わんばかりに思えた。
 個人の主義主張は勝手。しかし相手の考えや意見を変えんがために押し付けるのは良くない。それは多様性とは言えない。プロパガンダになってしまうから。
 最後は自分が好きなコマで終わらせる。

引用:「妖犬」





 

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