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連載小説【知られざるアーティストの記憶】

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連載小説【知られざるアーティストの記憶】の本編を収録します。
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#人生

【知られざるアーティストの記憶】第10話 二人に共通する二つ目のキーワード

【知られざるアーティストの記憶】第10話 二人に共通する二つ目のキーワード

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第2章 入院2クール目と3クール目の間
 第10話 二人に共通する二つ目のキーワード

スナガマリの父親は経済学者だった。雑学も含め様々な分野に造詣が深く、人情やユーモアを愛し、常に広い視野で物事の本質を見つめ、論理的で正しいことしか言わない父はずっと、マリの家族において絶対的な存在だった。父に惚れて結婚した年上の母も、マリとその3つ下の妹カナエも、みな父を尊敬し、

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【知られざるアーティストの記憶】第09話 彼が愛した女性、彼とマリの共通するキーワード

【知られざるアーティストの記憶】第09話 彼が愛した女性、彼とマリの共通するキーワード

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第2章 入院2クール目と3クール目の間
 第09話 彼が愛した女性、彼とマリの共通するキーワード

マリのこの質問も、唐突で不躾だったかもしれないが、もうすでに腹を割っている彼に対して遠慮する必要はないように感じられたし、何よりもそれはマリの関心事だった。

「そんなことはないよ……。」
彼はこの質問に対し、さっきまでの勢いを失した。痛いところを突いてしまったのかも

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【知られざるアーティストの記憶】第08話 性欲を性愛にアウフヘーベンしなくては

【知られざるアーティストの記憶】第08話 性欲を性愛にアウフヘーベンしなくては

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第2章 入院2クール目と3クール目の間

 第08話 性欲を性愛にアウフヘーベンしなくては

突然の彼からの問いかけに、マリはおそらく咄嗟にうまく答えられなかった。いつものように黙ってしまったか、
「それは、近所ですから……。」
というようなうやむやな言葉で流してしまった。
「私に執着しないでください。」
彼はうつむいたままでそう言った。

「ところで、あなたがやっ

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【知られざるアーティストの記憶】第07話 過剰なラブレター

【知られざるアーティストの記憶】第07話 過剰なラブレター

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第2章 入院2クール目と3クール目の間

 第07話 過剰なラブレター

「おかえりなさい。」

2021年5月末、待ちに待った彼が退院してきた気配を察知するとマリは、すぐに彼の家を訪ねた。甘いものが好きなら好みが合うかもしれない、洋菓子はどうかしら、と今度はお気に入りのフランス焼き菓子店でバスクチーズケーキを二切れ買ってきて差し入れた。二切れなのは同居の弟の分も忘れなかった

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【知られざるアーティストの記憶】第06話 二人の縞模様の時間、二度目の入院の前日にマリは彼の名字を知った

【知られざるアーティストの記憶】第06話 二人の縞模様の時間、二度目の入院の前日にマリは彼の名字を知った

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第06話 二人の縞模様の時間、二度目の入院の前日にマリは彼の名字を知った

彼が白血病を発症したのは2021年2月のことである。1月末のある日、原稿に向かっているときに、「魂が下に引き抜かれるような感覚」を覚えた。その後、体調がなんかおかしい、なんかおかしいと自覚しながら病院に行き損ねるうち、38℃を超す高熱を発症した。買い物に出ないわけにいかず、熱のある状態で自転車で買い物

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【知られざるアーティストの記憶】第05話 再会、そして二人の時間が刻みを始めた

【知られざるアーティストの記憶】第05話 再会、そして二人の時間が刻みを始めた

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第05話 再会、そして二人の時間が刻みを始めた

2021年早春、彼の姿が見えなくなった彼の家には、わずかに人の住む気配があった。庭は雑草が伸び放題になっていたが、ベランダには時折一人分の洗濯物が小さな角ハンガーに吊るされていた。そして、マリは一度か二度、ベランダに立って遠くを眺める人の姿を目にした。それは彼よりもさらに背が低くずんぐりした体系の男の人で、背中が曲がって見えた

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【知られざるアーティストの記憶】第04話 林檎とともに砕け散った恋心と、時は流れ姿を消した彼

【知られざるアーティストの記憶】第04話 林檎とともに砕け散った恋心と、時は流れ姿を消した彼

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第04話 林檎とともに砕け散った恋心と、時は流れ姿を消した彼

その時、彼はマリの心のカーテンを開けてこちら側に入ってきて、二人は友達になった……。

マリは居ても立っても居られなくなった。翌日、意を決し、家にあった林檎を彼が恐縮しないように2つだけ袋に詰めて、彼の家へ持って行った。そして、
「6年半前にあそこの家に引っ越してきたスナガです。ずっとご挨拶もしないで……。」

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【知られざるアーティストの記憶】第03話 恋はいつでも中学生女子のように

【知られざるアーティストの記憶】第03話 恋はいつでも中学生女子のように

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第03話 恋はいつでも中学生女子のように

出くわす度に印象の強さを増してくる彼のことが、マリは次第に気になり始めた。いつ見ても彼は、脇目もふらずに家の周りを掃いたり、窓を開けてサッシを掃除したり、窓の外に向かってケットをはたいたりしていた。機敏な動きはまるで働き蟻のようであった。彼の庭木は常にきれいに整えられ、雑草もきれいに抜かれていた。その様子から、きっと彼の家の中も同様

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【知られざるアーティストの記憶】第02話 非常時にマリは6年間近所だった人を見つけた

【知られざるアーティストの記憶】第02話 非常時にマリは6年間近所だった人を見つけた

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第02話 非常時にマリは6年間近所だった人を見つけた

川に沿ってなだらかに広がる公園は、児童公園のような遊具を備えておらず、石畳の桜並木の脇にわずかに大人向けの筋トレ器具が設置されるばかりで、ゆったりとした芝生エリアと林エリアに遊ぶ親子、ベンチで語らう老人たちの他に、散歩する人や通行人が行き交う、少し大人びた公園だった。厳かで異国情緒のある橋を隔てた対角には、市が運営するプ

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【知られざるアーティストの記憶】第01話 兆し

【知られざるアーティストの記憶】第01話 兆し

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第01話 兆し

2020年の4月、未知の事態への不穏な緊張に世の中が息をひそめていた頃、マリはひとりのん気に新鮮な空気を吸い込み、人が疎らとなった朝の公園に毎日出かけるようになった。中国から渡ってきた新種の流行病があっという間にこの国を脅かし、マリの息子たちが通う学校も保育園も休校休園になったことは、マリを忙しい朝の支度から解放したので、彼女はこれを習ったばかりの気功をみっ

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