【続いてる写経 787日め】〜『法華経』にみる女性の成仏
河合隼雄先生の『明恵 夢を生きる』に書いてあった、女性と仏教の話。
引用されている仏教経典には、女子には腹立たしい内容が多数ございました。
『涅槃経』によると、「女性一人の業障は、三千世界すべての男性の煩悩の総和に等しい」、のだそうです。
おいおい、どんだけ一人に背負わすんだか・・・
こうした思想は、当時根強かったらしく、明恵上人(京都の高山寺の中興の祖)のお母さんも女性は業が深いと、思わされていた人だったようです。
女性は来世では人間には生まれ変わることができない。
明恵上人を妊娠した時に、来世はよくなるよう、男子が欲しいと願っていたそうです。
女性を産んだら、さらに業が深いことになるんですかね。
複雑ですね。
そもそも日本に仏教が入ってきたとき、最初に出家したのは女性、しかも少女でございました。
その事実は数百年のうちに見事に忘れ去られ、女性が
ただし女性が仏になる道が書かれた経典もありまして、それが『法華経』の「提婆達多品(だいばだったほん)第十二」の中にある、竜女の話です。
これがですな、また興味深いエピソードなんです。
法華経の修行により仏になった例として、竜王の娘、8歳の竜女があげられるのです。
それに対し、般若心経にも登場する釈迦の弟子・舎利子が、「女は五障があるからなれるわけないじゃ〜ん」と本人に問い詰めるのです。
(舎利子、ここではなんかイジワル)
竜女は自分の持っていた宝珠を釈迦に奉り、釈迦がそれを受け取ったのよりもなお早く成仏できるといい、たちどころに男子になり、仏になった。
男子に成り代わって仏になった・・。
これを「変成男子」と言うそうです。
背景には「法華経の修行」がスゴイのよ、といいたいのでしょう。
けれども、五障である女性は、男性にならないと、仏になれなかったのですわ。
まあ、頑張ってくれたというか、一応これで女性の成仏に道がひらけた格好になってますが、なんかモヤっと感ですよね。
男性も女性も、母となる女性がいなくては、生まれることはできないではないですか?
その女性が男性を脅かす存在であり続けるわけ、ないんじゃないですか?
と根本的な問いを出した人は居なかった、というかスルーだったんですかねえ。
女性と仏教は追えば追うほど、ツッコミどころありすぎる・・
それだけに、現代までの女性の苦難が偲ばれます。