新屋山神社様ご参拝のあと、ふたたび訪れた北口本宮冨士浅間神社様で高尾山の山伏さんと遭遇。
このあと神社様の御本殿へ入られてご祈祷を受けられたご様子でした。
高尾山の山伏様がなぜいらしたのか、回答は高尾山のホームページにきちんと書かれてました。
江戸時代の富士信仰が途絶えてしまったのを、現代に甦らせたものだったのですね。
平成19年から復活なので、今年で17年目。
江戸時代の富士講ルートは、高尾山〜富士山のあと、御殿場側に降りて足柄峠を越え、大山もご参拝したとか。
富士山には登ったことないけれど、こんなルートが江戸の人たちの間で流行したとは。かつての日本人の健脚ぶりが伺えますね。
そして江戸時代は伊勢詣も、熊野詣も、善光寺詣も流行っていたのだから、
江戸の人、どんだけ元気で旅好きなんだ???
現代人の我々は、それこそ高速の交通手段のおかげで、これらの場所に一気に到達できるわけですが、さすがに霊峰に登るのは自力は辛いものがあります。
そんなワタシにもぴったりな、「富士登拝徒歩練行代参守」がありました。
まさにお講の代表者に託すがごとく、山伏様に代理参拝をお願いできるのです。
富士山の各所でご芳名を読み上げていただけるとは豪華!!!
これは次回高尾山写経大会の時に確認して申込しておこうかな。
数に限りがあるそうなので、来年の7月分とはいえ早い仕込みが吉かもしれません。
まあ、一度は自力で登ってみたいのですけどね、、。