【続いてる写経 748日め】〜そして、香りも”美しい”
月1回の香道のお稽古、今回は灰手前という炭を起こして、聞香炉の準備をするお役でした。
これは火加減や、炭を埋め込む深さを調節するのが難しく、先輩弟子から指導を受けるのみで、資料もないので、いっつもてんやわんや・・。
この日の聞香の加減が、自分の火加減で決まるので、この作業は結構緊張するのです。
終わった時には、火の熱さとともに、汗かいてました・・。
今回の香は、伽羅(最も高級とされるお香)はなかったですが、とてもいいお香が入ってました。
一息聞くだけで、至福がやってきました。
ああ、この香りを聞けて幸せだ・・・
と心から感じる、香り。
香道やっていて、良かったなあ、、と心から思いました。
音楽や鳥の鳴き声など、音は”美しい”と表現できますが、香りは通常”美しい”とは表現しません。
が、その香りがもたらした気分は”美しい”でした。
香道で聞く香木の香りは、すべて”美しい”何か、お花、女の人とか情景を想起させます。
が、今回のものは、”美しい”と思う何かではなく、”美しい”を想起する感覚でした。
ちょっとトリップした気分でした。
香りはほんと、実際に聞くしかないので、感覚の共有できにくいのは残念です。
で、香席のあとの雑談での話。
東京芝にある増上寺の志野流香道の献香式で、アノ「蘭奢待」がたかれるという話をききました。
蘭奢待そのものは、今は正倉院にあって、美術品なので香木として聞くことは叶いません。
が、志野流の宗家・志野宗信が、足利義政から下賜された蘭奢待を特別にたくのだそうです。
えーーー!!!蘭奢待聞けるの?
しかも現在発売されている『家庭画報』で募集しており、抽選で10名様がこの献香式に参加できるそう。
これならダメモトで応募してみる?と思いましたが、よくよく読むと・・
※当イベントは蘭奢待献香式に参列いただきますが、蘭奢待を聞くことはできません。ご了承ください。
だって・・
一般人は聞くことは叶わない、ということらしいです。
なーんだ・・
ま、もともとこの日はワタシは予定もあったし、悔しい思いはしなくてすみました。
増上寺では、特別展「香道の世界」を開催中。(6月26日まで)
普段は御家流の香道なので、この機会に志野流香道の世界に触れてみようと思います。
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